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責める気持ちを転換

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シュタイナー実践の日常的応用って、意識できている時は可能ですが、ふとしたことで守れにくい・・・、全く出来ていないことに気づいてないのを実感します。
イラついたりする原因が相手にあると思える場合は、
まるでシュタイナーが例外を設けているかのような扱いを、勝手にしている自分がいました。それがまさしく、神智学という著書に書かれているゲーテの言葉、

人間は自分の周囲に対象を認めると、すぐそれを自分自身との関係において考察する。そしてそれは当然である。なぜなら対象が自分の気に入るか否か、自分を惹きつけるか否か、有用か有害か、ということに人間の運命がかかっているのだから。事物を観察し判断する際の、この全く自然なやり方は、どうしてもそうしてしまうくらいにまで容易なやり方のように思われている。けれども人間はそうすることで、無数の誤診にさらされており、その誤診がしばしば自分を赤面させ、自分の人生を辛いものにしているのである。

そのものであることがあります。まったく、そうでした。
「なんで!?」とイラつき、相手を責める気持ちがわき
受け入れる気持ちになれなかった・・・

でも、ふと、先ほどの言葉を思い出し、相手の長所を考えてみたんです。
そうすれば、でてくる、でてくる!
例えば、その人は面倒見がよく優しいことを思い出した。
ただし、少し甘えられる人には甘えすぎる点があるだけだ。
私は、面倒を見てもらう関係ではないのだけれど、
もし、何かのキッカケで逆転したら、色々と世話をやいてくれるはず。
そして、私が世話をやいてもらっている関係であったなら、
私の感じ方も変わっていたに違いない!嫌なことだが・・・
悲しいかな、訓練をして、こういう発想に気がつかなければ、
私は、そのまま怒ったり悲しんだりしていただけだ。
角度を変えてみただけて、好感がもて気持ちがスッとした。
そうして笑顔で付き合える関係ができると確信もでき、
どのように付き合えば良いのかも浮かんでくる。

誰かと出会い、その人の弱点を非難する時、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛をもってその人の長所に目を向けようと努める時、私はこの能力を貯える。このような態度が、どれ程大きな力を与えてくれるか。

こういう言葉もあった。
確かに、気持ちがうんと変わり爽快になったことで、
明日への希望や意欲がわいてくる感じだ!
こういう気持ちが、常に魂の特性として身につくまで
まめに気をつけて歩んでいくことが味噌ですね(^^)

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