クリックで発見や運アップになるお話があるかも

ひとつの練習

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一日の大切な5分間。

毎日、わずかの時間でもよいから、日々の仕事とは全く異なる事柄の為に費やす時間を確保しなければならない。日常生活から隔離された瞬間に人が努力するべき事柄は、自分の経験や行動を、自分のではなく他人の経験や行動であるかのように見做す、ということである。内なる自己静観の価値は、その時何が観察されるかよりも、このような不動な心によって開発される「力」が自分の中に見出せるかどうかにかかっているのである。

その間に、今日のことでも昔のことでも過ぎ去った日のことを思い浮かべ、
それを他人のことを映画でみているかのように思うようにすると、
本人は大真面目でやっていることでも、客観的に見ていて、
「わぁ~、あんなこと言うてるわ、アホ~。」 とか、
「あそこは勇気を出すチャンスやったのになぁ~。」 って、
自分のことだと忘れて・・思ったり出来るときがよくあります(笑)。
・・・というか、
他人事と同じに見るようにしてみる意味はシュタイナー曰く
”できるかどうか” より、そうしようと続けるうちに、
違った力が芽生えてくるという訳なんですね~

そう風に聞くと、こんな感じに思えませんか?
5分間トレーニングで新しい筋肉をつけているようなものやって。
力がつくに従って新たなことが可能になるじゃないですか~

たとえば美しい山岳地帯を歩くとき、感情が豊かで深い心情を備えている人は、感情の乏しい人とは別の体験をします。私たちは、内面的に体験することによって初めて、外界の美しさにたどりつくための鍵を手に入れるのです。外界とのあいだに内容豊かな関係を育てていこうと思うならば、私たちはまず自分自身の感情や表象を大切にすることを学ばなくてはなりません。外界のあらゆる現象は、神的な壮麗さによって満たされています。しかし神的なものを外界に見出すためには、私たちはまず、それを自分の魂の中で体験しなくてはならないのです。

だって田舎に住んでいても、草花の美しさに気付かない人もいますし、
都会に咲いている雑草の可愛らしさに感動できる人もいますね。
結局、感じれるか感じれないかは私しだいなんですから、
きっと新しい力が授かれば外界をリフレッシュした視線でみれる
”今までと違った発見” ができるでしょう。
ちなみに「神的」というのは、叡智の世界・真理の世界という感じです。
取り立てて神様や霊というものを思い浮かべなくても良いですよん。

5分間トレーニング。
それが結果的に世界に開かれた自分をつくる基礎体力になる!
基礎体力もないのに社会的な無理をしても心身症になるだけですよ。
無理はせず、体力に応じてボチボチ進みましょう。
来年になれば、あなたはムキムキになれてるかもよ。(笑)
では、あなたの好きな引用もあれば教えてね。
一緒に話を膨らませたら心に残して応用しましょう~

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