★2002/11月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
【意欲の復活なるか】
素直な喜怒哀楽【認識不能だった昨日】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・
□■Active Tarot Reading☆
ナンで世の中、こんなにキツイねん!
そりゃ、少しでも楽になりたいわ・・・・そう思って、
余計なことをしたり、良くない考えもしてしまうよね☆
あぁ、でもやがて自分の行為の結果はやってくる。
逃げても解決できないことや、
すかしても頭から払拭できないことや・・・・。
ぶつかる力になれるのは、やはり人間やんね。
みんなが来年に向け、最後の一歩を踏み出せたらと希望します。
|●タロット&神智学 の智恵
|【意欲の復活なるか】
生物の能力の使わない部分は、退化してしまうのが常です。
自分の希望をずっと捨てないということなしには、
人間が徐々に干からびてしまうと思います。
なのになぜ夢や希望が持てなくなるかを考え
今回はそれらを防ぎ、復活させられないかに取り組んでみます。
ご協力、お願いします☆
夢を追いかけられなくなる・・・と言うと
「若くなくなった」というイメージがすぐに浮かびますが
最近のメールや相談では、20代の方が自分の無気力に悩んでいます。
悩みの根源は、若くなくなったことばかりではないようです。
そこで下の引用をご覧ください。
カルマの開示 P.18
ある職業につくために勉強してきたのに、両親が不幸な目に遭ったために
18才で商人にならざるを得なかったとしてみましょう。
その青年が選んだ商人という職業がはじめは刺激的で彼はちゃんと義務を果たし研鑽をつんで立派な商人になるのが見出されます。しかし、しばらく経つと、その仕事にうんざりして不満をもたらすようになるのが観察されます。
さらに探求していくと、職業を変えてから5年後にうんざりしたことの理由が13才ないし14才の頃にあるのが見出されます。このような現象の原因は、職業を変えてから飽きが来るまでの年月を職業を変えたときから過去にさかのぼった時点に探求しなければならないことがほとんどなのです。
その青年は職業を変える5年前に、内的な幸福を提供する何かを感情の中に受け入れた可能性があります。職業を変えなかったとしてみましょう。
すると、その青年が13才のときに親しんだことが後年になって実りをもたらすことになっていたでしょう。そのようにして彼の心に入ってきたものは、かつて心の中にあったものを抑圧します。しばらくの間は抑圧されていますが、ある程度まで圧縮されると抵抗します。圧縮する力が強いほど大きな力で撥ね返り、職を変えていなければ心の中に存在したはずのものが欠落しているので抑圧されたものが力を発揮して、周囲に対する不満、退屈として表にあらわれるのです。
上の青年の例とは違い
自分は、スキなことを行ってきていると思っていても、
色々な理屈をつけてスリ替えていることは多いものです。
■何かをあきらめて
「それは、あきらめたのではない、自然に忘れて行ったのだ。」
考えが変わったのだ ...などとスリ替え
[年齢が行き過ぎた...もう遅い...自分には無理...]
[今のままで十分だ...向いていない...etc.] など
正しい判断をしてる、、、と理屈で固めていないでしょうか。
■もしくは、
求めることは何ひとつしていないくせに
「あきらめたつもりはない。」 と、
事実上リタイアしていることを、スリ替えて認識していたりもします。
そんなことでは、目前に理想的なものが現れたときも、
妙に躊躇して「あきらめる」ことになってしまうでしょう。
それにより心の空洞化が進行してしまいます。
カルマの形成
他者を愛していると、嘘ではなく、真実を語ります。
しかし、愛にいたらない人々は他者に対して、愛から真実を述べることができず人を愛することができないので、義務感情から真実を述べます。愛することができない人々は、なにかに自分の気に入らないことをするとき、他者を殴ったり、平手打ちにすることを義務感情によって避けます。
硬直した義務概念、慣習から行われた行為「ふさわしい」から行われた行為は喜びをもたらしはしません。
前回引用___、カルマの形成 P.75
秘儀参入学(神智学)を身につけていない者は、つねに内的な衝動をとおして、自分がなすべきことを知ります。人間は自分が何をすべきかを常に知っており、いつも様々なことに駆られていると感じています。
前回の引用にもありました上記は共感と反感による行為であり
共感と反感を感じることは、私達にとって道標でとても大切なことです。
神智学 P.108 魂の世界
共感反感の、この両基本力が均衡を保ちしたがって共感と反感が同じ強さで作用している場合、周囲に一種の中立性をもって相対し特に惹きつけたり押しのけたりすることなく他に働きかけている。
他のものを自分に引き寄せる仕方には、まったく欲望がない。自分本位に空間を移動することなくいたる所で他からの印象を受け入れ出会うものの多くと親和している。しかし、その際の共感が特にひとつの事物に向けられることがないから、どんな印象も、特別の影響を与えることなく、急速に通り過ぎる。しかもこの些細な、無価値なもの以外はすべて、このような人の反感を呼び起こす。
私達は、上記の引用のように、
反感も共感も中和させていることしばしばです。
スキなことだけにエネルギーを「たすきリレー」できれば最高☆
でも「仕事やその他あり、それだけでやっていけるわけでない!」
自分は必要なことをチャントやってきた……それは正しいことだ。
上記の者は、そう言うでしょう。
「すべきこともしないといけない!」 そう考えることも最もです。
義務感は一時的に私達の気持ちを助けているのかもしれません。
しかし
目標の為の苦労や
好きなことの為に必須な義務や我慢と感じれば心の糧になるのですが、
それが単なる義務なら、意欲はやがて干からびてしまうのです。
大切なものを1番に据え、それ以降のものを置くことが鍵なのです。
なのに
実用的に2番目以降のものを押し上げようとすると
どんどんと乾いた発想が湧いてきて、やがて何につけ
常識や礼儀などの表面的なことばかりを判断材料にしてしまいます。
共感と反感を通して、私達は為すべきことを知るのですから
それらが感じられなくなる、もしくは無視するということは、
すべきことをせず、何も得られなくなることを意味するのです。
ただし共感とは「したい放題」「自分勝手」という意味でないことは
言うまでもないですよね★
したい放題は、前回の引用(下記)となります。
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.33
楽しみに対して鈍感であるなら、周囲から養分を摂取することを忘れた植物に等しいであろう。しかし楽しみの下にいつまでも留まり続けようとする態度もまた自己閉鎖的である。そのような彼は自分にとっては何物かであり得ても世界にとっては無に等しい。彼はその限り、それ程内部で活動的な生をいとなみ、「自我」を大きく育成していったとしても、世界は彼を無視してしまうであろう。世界にとって彼は死んでいるに等しい。
理想と現実のハザマで、様々にもがいている人がおります。
マイナスのエネルギーが反感として出る人。
上手に物事をスリ替えて考えるようになる人。
でも
・運命の人に出会いたいと、心が望んでいるのであれば、
過去の失敗や年齢は関係ありません。
【運命が50歳に何かを用意している場合】もありますよ。
・就きたい仕事があり抑えても、くすぶり続けるのなら
【未来に、関連した何かが待っているのだと思います】
その関連に、たすきをつなげないといけません。
それは貴方にとって必要なことなのです。
ヤケにもならず、あきらめず…という心の状態をつくり
自分が成りたい状態を持ち続けることだけ!
一番に★据えておくだけ★
まずは、それだけは復活させてみようと思いますっ!
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P,120
敬虔な態度を伴わぬ学習はもっとも進歩する事が少ない。成功への愛ではなく、努力への愛だけが進歩を促す。学ぶ上でどんなに健全な思考と確実な判断を大切にしようともそのために懐疑や不信に陥り、その結果敬虔さを見失うことがあってはならない。
成功への愛ではなく、努力への愛が続くことといえば
やはり好奇心のもてることとなりますね。
据えるべきものを思いだすことをしてみたいです!
スリ替えられたもの(偽物)がそこに据えられると確固たる心の”中心”とならず、
次々、別ものといれかえ、何が本物か分からなくなります。
そうなりたい。欲しい。そう思うことが他にあったはずです。
確固たるものが置いてある....そういう確信が感じれれば
・気晴らしや、
・下心のある探索と違い
喜びに満ちた単純な行為となります。
そうなれば共感の成す作用となり、やがて様々な事柄が繋がってきます。
【ポイント】は、
■何かを踏み切るに迷う場合、数時間~数日間、心に留めおき
関連した奇遇な縁を感じることがないか祈る気持ちで様子を見ます★
進めてはいけない場合は、何も感じるものが受け取れません!
進めても良い時は、
肯定的なサインであるかに感じる何かに偶然リンクされるでしょう。
少年少女の気持ちに戻って、何が欲しいか考えてみましょう。
☆
●引用したシュタイナー書物
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
シュタイナー選集 神智学
シュタイナー選集 第1巻 神智学
カルマの開示
カルマの形成
■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。
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|●実践経験&素直な言葉
|<<認識不能だった昨日>>
何に疲れているのかな?
本当は疲れていないのかな?
何もわからなくなるときがあります。
数年前から、しだいに無気力になる予感があり
焦って、勤勉さを出そうとするのですが、
一向に意欲が湧かない。そんな状態でした。
きずかぬうちに、何かを置き去りにして
仕事に没頭してきたようにも思いますし、
そんなことはないようにも思います。
現状に熱意も持てたし、愛情ももっていたはずなのですが
~しなければいけない。
~を優先すべきである。 などとばかり考えます。
意欲がなくなることと、
魂が本当に温和になることとの違いを区別しないといけませんね。
年を取ると優しくなることが、
博愛・温和から来てるのか?
意欲が薄れた人間になったのか・・・
最初は、私も確かに温和になったのです。
でも、自立と独立の「厳しさ」が私を横道に入らせたのでは?
そう考えました。
しかし勉強を再開して間もなく感じたのは、実体験の重要さです。
「わかっているつもり」ほど高慢なことはありません。
結局、何もわかっていないということに気づくには体験しかないこと。
そして体験するには、2つの考えを掛け持ちして
客観的になるなら体験にはならないことを見出し
本質的に、たいせつな10年だったと思いました。
「今、経験していること、全てを経験するためにここにる」
という、苦しいときの私の発想転換としていたことも
一層、深めることができました。
愛を通して、結ばれ関係をもてる。
愛を通して、周囲の対象を自分に惹きつけ取りこみまざりあう。
愛を通して、魅力や意欲を感じる対象を据える。
初心に立ち返り、又そんなことを始めよう…と思います☆
■投稿やお手紙は、匿名で大丈夫です☆
重いもの・軽いもの、何なりとお待ちしていまーす。
思想を通して悩みの解決と力にできれば嬉しいです。
■◆◆■ お知らせ ■◆◆■
10月4日より「パブジーン便り」のゲストライターとして
6ヶ月間、毎週金曜日のコラム執筆をさせて頂いています。
内容は、ひとことコラム&タロットによる毎週の運勢です。
購読は
https://www.pubzine.com/pub_letter/
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|●シュタイナーの言葉
何が正しいのかを認識する以前には
どのような願望も もち得ない
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【プロフィール】
佐藤 よし子/
現在、 宗教的な物に頼らずにプラス思考で乗り切るべく
MonthlyReading&カウンセリングを相談者に実施している。
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