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報われないのを承知で

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報われないということを知りつつ、目一杯にベストを尽くす。
それはシュタイナーとタロットがなければ、私には決してできなかったはず。
思うんだよね~。魚の卵の孵化と同じで、至るべき目標が見えている(と勝手に思っている)ことにだけ努力する意味があるのではない。

内面への旅 P138 —
現代の自然科学は、ダーウィンの影響の下に、感覚の世界だけを観察して、「生存競争」という重要な自然の原理に達しました。
海の動物たちの無数の卵は、海中や砂浜において死滅し、ごくわずかなものだけが実際の動物に育っていきます。
そこからすでに、一見恐るべき生存競争が始まっています。
感覚の世界だけに目を向けていれば、ただ嘆き悲しんで、「生存競争の中で、数百万、数千万の卵が死滅していき、わずかな部分だけしか生き残らない」、と言うしかありません。しかし、これは認識の一側面にすぎません。 
麦畑には豊かに稔った穂が見えます。しかしその大半は本来の目的を達することができず、わずかな部分だけが地に落ちて、新しい植物に成長します。
けれども、考えてみてください。何かを食さねばならない人間にとって、すべての種が大地に播かれたとしたら、どうなるでしょうか。理論的にはどんなことも考えられますが、穀物のすべての種が成長する場合を考えるとしたら、穀物を養分として摂取しなければならないものたちは、どうなるでしょうか。
ここで非常に奇妙な事実に行き当たります。感覚的な存在として穀物畑を見ますと、すべての種がふたたび食物に成長すればいいと思います。しかしこの観点は多分間違っているのです。宇宙の全体的関連を考えますと、どの穀物の種子も植物として成長する目的があるわけではなく、他の動物の養分に供せられる穀物が、宇宙目的に叶っていない、とは決して言えないのです。同様に魚になれなかった卵には、宇宙目的が失われている、とは言えません。どの種子も育つべきだというのは、人間の先入見にすぎません。なぜなら、全体に目を向けるときのみ、個々の存在の使命が分かるのですから。
外に立って知性を働かせる人は、自分の感覚を通して見ることのできる目標に向っているものだけが、有意味な生き方をしている、と信じています。先入見なしに自然に目を向ければ、どの生物のどの段階においても、完全なものが見えます。その完全性は、或る存在になるときに現われるのではなく、今ある存在であることの中に現われるのです。

タロットで、「あらかじめ期待した結果は出ないがベストを尽くせ」といわれると、どこかに意味があると受け取れる私。見る人によっては狂信かもしれず・・・
でも私の中では、クールな感覚であり、そして「信じる」という意志みたいなものです。それは、私が推測できる・目で見れる恣意的な意味でない「養分」になり、運命に吸収さてていく。
養分が何を育ててくれているかを楽しみに過ごしたい。
それは、とても気持ちが良い。不思議だ。

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