雪の重さに耐える愛する心

シュタイナー実践、気づけば30年間近「マジか?」

天使と人間

★2005/12月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
☆彡タロット&神智学の智恵
【天使と人間】
素直な喜怒哀楽【こそくな自分に大ショック】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・

□■Active Tarot Reading☆

|●タロット&神智学 の智恵
|【天使と人間】

ツリークリスマスが近くなると天使のことを思い出します。
ツリーのあちらこちらに可愛らしい天使が飾ってありますね。
今回はシュタイナーが語った天使と、
その天使との出会いは、いつどこで可能になるのかなどについて
書いてみようと思います。たぶん、一般的なイメージとは全く違う、
シュタイナー的な天使ですが出来るだけ分かりやすく書いてみます。

天使と人間 P.13 
 人類は様々な惑星状態を経て、今日のような高にみまで進化したのです。そして皆さんは「人類が未来において更に高い進化の段階にまで昇っていくという」ということも知っているはずです。人類がかつて、まだぼんやりした意識状態にあったとき、現在の人間と同じような高みにある存在たちがいました。また現在、人類がようやく未来において到達できるような進化段階を、既に獲得している存在たちもいます。
 そういうわけで人間よりもすぐ上の段階にいる存在たちを呼んでいます。

日常的に暮らしていますと、天使と呼ぶけれど具体的には分かりません。
実際に私たちは、物事を判断するのに必要なものを
自分たちで作り出した知識から大抵は選ぶことができ、
まるで自分たち人間が唯一のように感じて過ごしていますもの。

シュタイナーはそんな天使を、引用のように、霊的世界の位階において、
人間のちょうど一つ先輩、人間のすぐ上にいる霊的存在としています。

様々な惑星状態とは、シュタイナーの宇宙論で書かれている、
「人間と同じく、惑星状態も生まれ変わっている」という
通常では想像して描くことも困難な認識なため今回は省きますが、
もっとも身近な存在である天使の意識になりきってみましょう。

天使と人間 P.16
 今日の人間は外面に向けられた物質的意識の中に、知覚可能な四つの自然領域を含んでいます。その四つの領域とは鉱物存在、植物存在、動物存在、そして人間領域それ自体です。
 人間が感覚を通して知覚するものはすべて、例えそれが何であろうと、これらの四つの領域のいずれかに属しています。ですから「天使存在の意識とはどのようなものだろうか」と問いかけられたとき、天使の意識は石などの鉱物が存在する領域まで降りてきません。その代わり天使の意識の中には植物存在、動物存在、人間存在、そして天使自身の領域があるのです。天使には物質的な肉体はありません。したがって天使には、目や耳のような肉体の器官もありません。ですから天使は物質界を知覚しません。

天使の意識は、人間のひとつ上の位階である「天使領域」を基本に
以下、植物存在=生命体(エーテル体)領域までおりてきます。

引用のように、天使には物質的な肉体器官はなく、
幼稚ながら、その天使から見た人間の姿を想像してみますと、
>肉体が透明になる感じで、生命や感情的なものが
>例えばオーラといわれる色や光の形姿として直接
>天使なりの見え方でみえているわけですね。
なるほど! と想像できませんか。

地球期といわれる現在の状態を、私なりの図にしてみました。
左は構成要素。〇●は、その存在本来の領域です。
┌──────┬─────────────────┐
│      │鉱物 植物 動物 人間 天使 大天使→
├===========================================┤
↑生命霊   │                ●
├──────┼─────────────────┤
↑意識魂(霊我)│         形成中 ●  ○
├──────┼─────────────────┤
│悟性魂(自我)│          ●  ○  ○
├──────┼─────────────────┤
↑感覚魂   │       ●  ○  ○  ○
├──────┼─────────────────┤
↑生命体   │    ●  ○  ○  ○
├──────┼─────────────────┤
│物質体(肉体)│ ●  ○  ○  ○  
└──────┴─────────────────┤

このように書くと、今まで自分がぼんやりと学んできた
シュタイナーのいう「感覚器官を越えた世界の認識」という
意味が何をさすのか理解できてくるのではないでしょうか。
人間以上の存在は全て肉体の器官がなく、天使の意識に倣いますと
全ての霊的存在にとって物質(鉱物)存在は無いのと同じといえますね。
色々な宗教的解釈で「この世」をとするのも理解できたかも!?
霊界の存在から見れば、物質空間は透明なのですから・・・


大天使はまだ動物を意識しますが、図に書いていない高い存在は
その位階が上がるに従って、物質世界からより遠くなっていくのです。

ただ私たちは、鉱物以外の高次の構成要素があるから
無には見えない訳ですよんd(^-^)。

霊界から、自分たちがどのように見えてるかチョット想像できたかな?
感情(アストラル体)や本能(エーテル体)が丸見えな訳で
嘘、偽りのしようがありませんね(^_^;)

天使と人間 P.17
 いまを生きている人間のあいだにも、導く者と導かれる者との関係が存在します。人類が将来獲得することになる意識は現在既に天使が具えている意識と同じものになるでしょう。このような意識の持ち主であるからこそ、天使は現在、事実上人類の指導者であるわけです。

そうなのです。
私たちは、いずれ天使と同じ意識になれる可能性があり
それをついさっき経験した天使が導いてくれている訳です。
ありがたいですねぇ~。やっぱ現実の世界でも同じかなぁ。
会社で、
社長じきじきに励まされるのも嬉しいけど、
アルバイトの子は、主に店長に具体的な仕事を教わるものです。
現場にいる店長の方が、その点では社長よりも適任ですものねd(^-^)。

天使は、そういう具体的導きをくれる存在ですよん。

天使と人間 P.18
 これから先、地球としての残りの時間のあいだに人類の中で何が形成されるのでしょうか。人間は肉体、エーテル体、アストラル体、そして自我を具えています。そして今、人類は自らのアトラル体を造り変えて、完全な霊我を形成する時期にさしかかっています。天使は現在、既に霊我を発達させています。したがって進化の位階の中で「天使とは人間がアストラル体を霊我に変える仕事を指導する霊である」と、言うことができるのです。

>>ちょっと余談ですが、シュタイナーでこんな戸惑いないかしら?
 場面場面で「生命体をエーテル体」としていたり、
 「魂をアストラル体」としているなど・・・違いはあるのかって。
 それは霊的な世界の、線引きできないことを述べているので、
 場面により、どちらともいえるのが事実なのですが

■人間の四つの構成要素という場合は
 <肉体・エーテル体(生命体)・アストラル体・自我>
ただし!
■アストラル体を厳密に扱う必要がある場合、
 <感覚魂・悟性魂・意識魂> に分かれますが、
■動物本来といわれるアストラル体は、実は感覚魂だけ。
■悟性魂は、自我(私)という個々人を意識する要素に近く、
■「意識魂」は、霊という「より高次の区分」に混ざっており
部分的に自我を越えているので、半分は霊我といえるわけです。

なので詳細な区分では、先ほど図のようになっています。

神智学 P.63
感覚魂に固有の活動は、一方では感覚内容を通し、他方では思考を通して成熟していき、そして悟性魂となる。

と、こういう流れで進化しますd(^-^)
パニクらないで、その分、2重3重におおらかに覚えてくださいね。
よけいヤヤコシクなっちゃった?

ひとつ前の引用「天使と同じ意識になる」というのは、
図でいえば、霊我を形成中 ということですが、
■それは、どのように形成できるのかしら。研究してみましょう。

神智学 P.66
アストラル体の中には、まず人間の衝動、欲望、情欲が感情内容として働いている。衝動、欲望、情欲等は、まだ霊我に従う態度をとっていない内部の力に貫かれた感覚魂の中で生じる。「私」が自分を霊我で充たし、そして魂がアストラル体をこの霊我の力で充たすとき、衝動欲望、情欲は、自我が霊から受け取ったものによって、くまなく照らし出されている。自我は霊界へのこの関与の故に、衝動、欲望等の支配者となるが、この支配の度合によって、霊我がアストラル体の中に現れるのである。
 そしてアストラル体そのものは、このことを通して変化し、二つの部分からなる存在として、つまり変化していない部分と、変化した部分とからなる存在として現れる。
 だから人間の中に顕現する霊我は変化したアストラル体であるとも言える。

霊我というのが生きている世界は、霊界であり、
霊界というのは「真と善の法則」が支配する世界☆。
その法則で低次の欲求を統治できるようになると
アストラル体の中で萌芽である「意識魂」が育つ手順です。

見聞きしたものを、それぞれの感じ方により解釈して
個々の自我が延々と主張し合っていても仕方ありませんよね。
そんなことを回避する為に悟性の力でルールを作っても
人間の欲求は押さえられるだけでしょ!?。
結局、悟性は各自の都合で使われることになっちゃいます。
そうなれば様々な事件が起こるように、
上手く使えない人や狡猾に使う人が出てきてしまいます。

共有できる「意識魂」を発達させられるかが未来の世界にとって勝負です。
■では霊我とは、いったい何か?もう少し詳しく見てみましょうか

天使と人間 P.167
私たちは既に自分の中に霊我の萌芽を備えています。もし、私たちが時々私たち自身の霊我と出会うことができないならば、自分があらゆる霊的なものから疎外されていると感じることでしょう。この疎外感は現在の進化段階の人間にとって、ほとんど耐えがたいものとなるでしょう。
 「我々は時折、近い位置にいる天使存在と出会わなくてはならない。なぜなら、この天使存在は我々と出会うことで、将来我々が霊我を受け取るのにふさわしい状況を霊的に作りだすからである」と、言うことができます。 

 天使と人間 P.175
出会いについてお話しましょう。それはいつ起こるのでしょうか。それは眠りについてから目覚めるまでのちょうど中間の時点で毎回起こります。守護天使との出会いはほとんど毎日、夜眠っている時間に起こります。このことは、人間にとって重要な意味を持っています。なぜなら、私たちが昼間、人間と霊界のつながりに関して魂
の安らぎとなるような感情を抱くことができるのは、眠っている間の守護天使との出会いの余韻が残っている為なのです。

>>霊我の萌芽がすでに私たちにある<<  というのは
私たちの構成要素である「アストラル体」の中に
その芽となる 意識魂 があるのですものね。
それは、すぐに分かりましたよね?

自分の中にある霊我の芽とは、自分の「構成要素」です。
その構成要素と「会う」...という表現はじつに奇妙な感じですね。

ただ「会わねばならないり訳」は「自分が高次の存在である」ということを
時折り、構成要素を実感することで信頼・・・といいますか
無意識にでも、する必要があるのではないでしょうか!?
すでに霊我を完成させている天使存在は、
私たちの中の霊我と類縁関係にあるので、その為に、
自分の霊我の見本となる最高の存在で良い刺激なのです。
天使は、昔「守護天使」とも呼ばれていました。

天使と人間 P.21
天使はそれぞれの人間の個性と共に働き、アストラル体の中に霊我を形成するという仕事を成し遂げるまで、人間を導いてくれます。天使とは一人一人の人間の個性と進化の過程のあいだに調和を作りだす存在です。そして将来地球の進化が終わる時には、現在の天使の意識にまで到達した人間自身が、天使と役割を交代することになるのです。

天使という私たちの一年先輩であるかのような存在は、今、
私たちが自我意識を失う睡眠中に、私たち個人を
私たちの個性にあった形で地球の未来に働けるよう
意識にヴィジョンを築く役目をしてくれています。
私たちは、やがて達成されるヴィジョンを感じながら歩むのです。

■「天使」っていうイメージ、どうでしたか?

つかめましたら、最後はシュタイナーの方針である自己確認のすすめ。
私たち自らが、意識的な生活をおくり魂を洗練させ
魂の安らぎの余韻を観察できるようにしましょう・・・
ということです。

天使は、私たちのアストラル体という生の感情をストレートに見通し
地球進化と個性が調和して過ごせるように働いてくれます。だから☆
目覚めているときに”ふと”安息の中で思い浮かぶ事柄を大切にしましょう。
無理だとか夢だとかアホらしいとかと否定しないで信じることよねd(^-^)。

今回は、書いていた終わりに、ふと、
毎月のホロスコープは守護天使が出してくれているように思え
それが私の中の答えになりました・・・・(*^_^*)
皆さま、今年は、どうも、ありがとうございました。

●引用したシュタイナー著書紹介

天使と人間
天使と人間
ルドルフ シュタイナー, Rudolf Steiner, 松浦 賢/イザラ書房 ¥2330
*ただし初心者は読めるものではありませんので、今回はお勧めしていません。

シュタイナー選集 第1巻 神智学
シュタイナー選集 第1巻 神智学

*検索機能を使えば、以前の引用文も探せますよん。
 本の内容がいっそう分かりやすいですよ(^-^)

■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。

*;*;+*+ *:*'*+
|●実践経験&素直な言葉 
|<<こそくな自分に大ショック>>

今年は、シュタイナー実践で衝撃的に凹んだ年です。
もう自分でも信じられない失敗に気づき久々自己嫌悪の嵐となりました。

いつくかの性質を正しく育成したものの、その分だけ
勝手に別の性質をはびこらせてしまう・・・とシュタイナーが促している注意。
まさにハマってしまいました(-_-;)
「温厚な態度」のさじ加減を間違うと「表面的人間」に。
「慎重な態度」のさじ加減を間違うと「疑心暗鬼」に。
その「両方」を心がけようと間違えて「姑息」に。

人の振り見て我が振りなおせとは、よく言いますが。。。

私の場合は、ある時いちいち私への発言に慎重・丁寧と思える人がいて、
徐々に人のことを量っているというか、その慎重さが嫌な印象になり。
「何でも間をとった意見では中身がないやない!」

と思った瞬間、タロットでいうなら「塔」のように雷がドカーン!と頭に。。
そういや、自分も場合によっては相手の様子をみて
表面的に接していることあったわと思い出し。Σ( ̄□ ̄||)ええっ!!嘘ぉーー。

自分は常に「率直」だと思い込んでいたのですねぇ。今思えば。。
だいたいは本当にそうなのですから無理もないのですが、
あったのです、自分にもそういう姑息な態度がっ!

姑息(こそく)=その場しのぎで中身なし ってことでしょ?!
中身がないのが最も嫌いなことです。
自分が許せませんでしたけど、そこはB型気質の私です。
(血液型はA型ですが・・・(^_^;
悔し泣きの翌日には、さっさと次回から心がけるのみと立ち直りましたが、
今後は、姑息な態度は絶対にせず、別な方法で気持ちよく
慎重に過ごす術を考慮していくのみと決めました。絶対ですp(^^)q
シュタイナー実践・・・深いです・・・

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|●シュタイナーの言葉

 私たちの感覚が知覚し 私たちが思考によって

 手を加えることが出来るものの中においてのみ

 私たちは本当の意味で目覚めていると言えるのです

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