タロット&神智学の智恵
【健康への基礎認識】
素直な喜怒哀楽【動物と人間の違いについて】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・
経験と能力についてお尋ねします
■□■Active Tarot Reading☆
健康への基礎認識
なんだか桜の開花が早いみたいですね。
もうお花見したかたもいるんですかね~。いいなぁ。(^^)
お弁当をもってのお花見最高ですよね。あぁ行きたい!!
●タロット&神智学 の智恵
【健康への基礎認識】
年齢がいくに従い健康にも気を配るようになった此の頃。
シュタイナー実践による健康や食事や病気の観点もあります。
今回は、そういう角度から実践を考えるにあたり
「基礎」となる部分を紹介してみたいと思います。まず、
私達は『人間の本質』とその役割や作用を知りました。けれど!
そのような霊的な世界を信じているという反面、
健康の話題になると急に唯物的な観点に戻りはしないか。
という疑問です。それならば、シュタイナーの指摘する
病気と治療 P.59
ある医者が敬虔な人で、霊的な世界について多くの理念をもっているとしても、医療に関しては唯物的な世界観に拠っており、患者を治療するときに、あたかも人間は肉体だけの存在であるかのように扱っているとしましょう。その医者は宗教をもっていると主張するかもしれませんが、一人の唯物論者にすぎないのです。その人がなにを語り、なにを信じているかが問題なのではありません。
人間は物質体とエーテル体とアストラル体、自我がどのように配分されており、どのような相互作用が見られるかが重要なのです。健康と食事 P.59 —————————-
理論的にはそうは考えていないとしても、実際問題として、多かれ
少なかれ無意識のうちに、人々は人体を単なる肉体と考えています。
人体を構成する素材を研究し、人間を大きなレトルトのように見なしています。それは思考の習慣です。もし、生命力や精神を信じるといいながら、食物に関しては人間を大きなレトルトのように見なすなら、その見方は人生を豊かにするものではありません。
と言われるとおりだと思います。
せっかく様々な角度から身につけてきたシュタイナー実践ですから、
小ズルイ考えをして
『教育の成果や精神的な糧を得られる事実』があるんだから、
嘘か本当かは別にして結果さえ出ればいいや…. とは、
思わないで身につけていきたいと思います。
短時間のあいだ、思考習慣に反する考えもあるかと思いますが、
あほらしい気持ちを抑えて、お付き合いくださいね~
そうすれば化学と霊学の一致が至るところに見られるでしょう。
まず、人間が病気というからには「人間の構成要素」とされている
肉体・エーテル体(生命体)・魂体(アストラル体)・自我という
全人としての人間のどこかが病気になるのだと思えます。
どの部分が『病気や健康』にどのように関っているかですよね?
その為に理解しなければならない大切なことが
『外的な人間』と『内的な人間』のイメージです。
病気と治療 P.8
人間は4つの部分からできています。
まず、物質体(肉体)です。物質的-科学的な力と法則を内包する鉱物も、物質体をもっています。
第二の構成要素はエーテル体(生命体)です。生きているもの、すなわち植物も動物も、エーテル体を持っています。
人間の第三の構成要素はアストラル体です。アストラル体は快と、
喜びと苦痛の担い手です、感情・表象・思考の担い手です。動物も
アストラル体を持っています。
そして、人間本性の最高の構成要素である自我(自己意識)の担い手があります。
例えば、人間が肉体だけで成り立っているのであれば「鉱物」と同じ。
鉱物が、徐々に劣化するか、外からの力により壊れるのと同じなはず。
でも実際には、違っており様々に複雑な要素がありますもんね。
そう考えるだけで『世界観の経過』で書きましたように
>> https://yuki.the-xx.com/?eid=53096
脳が感情を作り出しているわけじゃぁないと思えます。
そして、これらの特徴として、
>物質体=外から考察することができる。
>アストラル体=衝動、欲望など内側から見られる。
>エーテル体と自我=その両極の間に立っている..と書かれています。
ただし、実際は構成要素それぞれが複雑に入り混じっており、
厳密に分かれているのでない点から、説明すべき内容により
その順序が前後している場合があります。 とくに!
魂全体は、感覚魂・悟性魂・意識魂と別れており、
感覚魂をアストラル体。悟性魂と意識魂を自我の外皮としたり。
そこは、唯物的に考えずイメージを作るようにしてくださいね。
病気と治療 P.10
わたしたちが自我と呼ぶものは、ある意味で内から外へ進みます。
エーテル体は、アストラル体に向かいます。自我と、自我がアストラル体から作り出すものを通して、人間は物質界を認識するものになります。
動物は個体的な自我を持っていないので、生活は個的な認識なしに進みます。動物は内的に体験しますが、外界を認識する為に快と苦を利用することはありません。動物は、自分に安楽を与える要素の中にとどまります。動物は、自分の苦痛の中に生きています。
人間の場合、苦痛は自分自身を超えて世界を解明する者になります。
自我が人間を上昇させ、外界に直面させるからです。
動物は、安楽と苦痛の中に生きているというイメージは、
人間と比べれば理解しやすいと思います。 例えばd(^-^)
人間は、運命の不運や厳しい状態になったときに、
「それは人生に必要だったのだ。そのお陰で今の強さがある」
という風に、不運の意味を理解したりバネにすることができます。
動物は、それに比べて、自分の環境を体験するにとどまります。
そこから悟りを開いて、生き方を変える自由がないのです。
それが宿命なんです。環境の中で生きるしかない動物を思えば、
人里へ降りてくる熊の弊害など
様々な環境破壊は、人間がどうにかすべきであると思えますよね。
さて、
物質体 <=作用=> エーテル体 <=作用=> アストラル体
のような関係で相互作用がなされていることがわかりました。
自我を書いていないのは、全体の「核」としていると思ってください。
この作用が、実際問題はどのようになっているのでしょうか?
病気と治療 P.11
目覚めている人に注目してみると、物質体・エーテル体・アストラル体・自我がたがいに混ざり合っています。
夜、眠ると、ベッドには物質体とエーテル体が残っており、アストラル体と自我は、物質体とエーテル体から離れて、本来の故郷に帰るように、霊的な世界に入っていきます。
ある意味で「眠っている人間において、物質体とエーテル体は外的な人間でしかない。本来、エーテル体は内面との仲介者なのだが、『外的な人間』と呼ぶことができる。
通常の状態において、アストラル体の体験はすべて内的に体験されます。起きている時、自我(私)が外界に識別するものは、認識として消化されて、内的に受け取られます。
アストラル体は、昼の間、エーテル体の仲介を経て、五官から
外界の印象を受け取り、内的な衝動や感情の担い手となりますが、
夜の間は、外的な人間と離れて霊的な世界へ入っていきます。
その間は、アストラル体本来の役割はどうなるのか?
昼の意識にあるような、感情や体験、知覚や表象の担い手である
その仕事を果たさないのか。。。と問えるでしょう。
認識を消化し、内的に受け取るという役割が果たせるならば、
霊的な世界の識別も得られるに違いありませんのにね!(^^)
その無意識的なことを意識できるように訓練することを含め
霊的な世界を認識することが「シュタイナー実践の意味」でもあり。
勿論、霊的な世界に入っていく意味があるから
わたしたちは毎夜、霊的な世界へ帰るに違いありませんよね。
意味のない偶然で霊界に帰るわけではないでしょうから・・・
そこで、さっきの
物質体 <=作用=> エーテル体<=作用=> アストラル体
の相互作用の図を見てください。
昼間に、物質体から様々なものがアストラル体に提供されます。
わたしたちは、それらを通して、閉じられた世界で生きる動物とは違う、
可能性を秘めているのでしたd(^-^)ネ! それならば霊界への作用
■アストラル体 <=作用=> 霊界 と続くわけです。
病気と治療 P.16
わたしたちは、いくつもの体験をしてきました。それらの体験は、多くの時間を必要としました。
わたしたちは書くことができます。生まれてから死ぬまでのある時期に、一連の体験をもったことが前提となります。不器用にペンを手に取り、紙に書こうとしました。書くたびに、何度も失敗を繰り返しながら書き方を習得していったのを思いださなければならないとしたら大変でしょう。生まれてから死ぬまでの人生のなかで成長していきます。多くの時間が流れてエッセンスが形成されました。そのエッセンスとは書く「能力」です。
その他のものは、すべて忘却の暗闇のなかに沈んでいきました。体験は、まず心的な能力に変化します。もちろん、その能力は身体という道具をとおして発揮されるものです。生まれてから死ぬまでのあいだの個人的な体験は、すべて能力あるいは叡智に変化します。
心、つまり内的な人間が夜から朝までのあいだ滞在する領域に体験を持っていくことによって、能力が形成されていくのです。経験はエッセンスに変化します。一連の体験を適当な眠りの時間のなかで変化させねばならないということを、人生を観察する者は知っています。なにかを暗記するには、学んでは眠り、また学んで眠るというようにするのがベストです。体験を眠りの状態の中にもたらして能力や智恵や技術に変化させることができない者は、その体験をとおして進歩することができません。
今年の植物は、大地の懐に帰って、つぎの年にふたたび発芽しなければ、来年の植物になることができません。体験は夜の無意識の懐に沈み、ふたたび取り出されます。それは最後には変化して、知恵、能力、人生経験として現れます。
私達は、眠りを通して進化しているのですね~。
起きている間に経験したこと全てが、蓄積されています。
シュタイナーは、お野菜ひとつをとっても、
合成肥料を使うことで出来上がりは同じ野菜であっても
内容や作用が全く違うと述べています。
手間を省いて効率的に作物ができると思うのは間違いです。
科学的検証と霊的見解は本来一致することを思えば、
同じ野菜でも、昔からの手間隙かけた農法と
合成肥料と農薬を使って育てた野菜では、栄養価が違うことがあります。
シュタイナーは、それだけでなく、
例えば、ある野菜が本来持っていた塩分が変わることで
霊的な働きが体に及ぼす作用が変化するのです。
姿形は同じでも、中身が違ってくる! それと同じで教育分野でも、
数学や科学的な実験や体験という回り道を省いて、
同じことが分かるのだから良いという教育の結果はどうでしょうか。
経験・体験という回り道をして能力に変換されるのだ、
ということを教育者が知っておれば・・・と思います。
秋山仁先生は『数学教師がマイナス×マイナス=プラス』
ということを信じているだけでは駄目!
と言っておりますが、ホンと、そういうことですね。
科学や数学を狂信しているだけな奇妙な状態から、
逆引きのように結論を引き出すために
「あるある大事典」のような問題がでてくるのですよね。
わたしたちは、夜、心のいとなみのなかに昼間の経験をもっていく
ということがわかりました。そして、その繰り返しから、
ある日、能力や技能として変化するときが訪れます。
毎朝、変化するかもしれない可能性を秘めて目覚めるのですが、
眠りには、一定の限界があるようです。それは・・
病気と治療 P.19
朝、目覚めた時、人間は昨日と同じ物質体とエーテル体を有しています。おなじ能力と素質、生まれたときから備わっているのと同じ内面の構成を有しています。
生まれてから死ぬまでのあいだの人生における発展の限界が明らかになります。
音楽的な経験をたくさんすることができる環境にいれば、
毎夜、その体験はエッセンスとして蓄積されるのですが、
肉体的な限界が、その能力の発揮を阻むのです。
例えば、多くの経験を積んだ人の顔つきが変わることがありますが、
肉体に対する影響力は、あくまで遺伝の法則の範囲内。
それならば、今のご時勢、成功するものだけを探したいという
人の気持ちが分からないでもありませんね。
努力しても報われないならば、面白おかしく生きるほうが良いでしょうか。
けれど、そうとはいえないのが実際のところ。。。
病気と治療 P.19
17世紀まで、下等動物は泥から発生したと思われていました。民衆がそう信じていただけでなく、学者もそう思っていたのです。
17世紀に、自然学者フランチェスコ・レディが登場し、彼は「生命あるものは、生命あるものからのみ発生する」と語りました。
今日では当たりまえのことをかたったために、彼は異端者とされたのです。精神科学の土台の上に立つ者は、誕生によって地上に歩み入る心魂的-精神的なものは、同種の心魂的-精神的なものに由来することを示します。心魂的-精神的なものは、遺伝された形質から組み立てられたものではないこと。「人間の心魂と精神の由来を辿れば、生まれるまえから存在した心魂と精神にたどりつく。」
この考えは、輪廻転生の思想へとわたしたちを導いていきます。
死の扉を通っていくとき、わたしたちはこの人生で形成した能力をたずさえていくのです。死の扉をくぐって霊的な世界に入っていくときにたずさえてきたものを、将来ふたたび地上に生まれるとき、また持ってくるのです。
そうなんですよ~。
それが、眠りと死の違いとなります。
体質的・身体的な理由で発揮されずに残ったエッセンスは、
新しく誕生するとき・新しい体を受け取るときに発揮されるのです。
昔、穀物の種や魚の孵化の引用をしましたが、
>>https://yuki.the-xx.com/?eid=52029
全てが目に見えて実るなら、その実を養分にするものは滅び、
結果的にすべてが崩壊していきますもんね。。
私達は、体験を通して新しい能力を身につけて未来を豊かにすると同時に
実らない体験と努力を通して、未来の準備をしているのです(^^)
そう思えば、実らないことにひねくれて
何ひとつ経験や体験や努力しない生き方をすることは、
未来の自分を枯れさせていることになっちゃいます。
そう言うと
「それならば自分は何でこんなに指が短いのか」
自分は、努力が足りずに指が短い体に生まれついたのか!
「ギターも弾けやしない」と文句をいう人もでてくるでしょう(笑)。
そこからが本題になる『病気と治療』の講義なのですが、
簡単にいうと、眠りを目覚めを繰り返して体調が整えられるように、
1日中、調和が作り出せたり・調和するべきだとはいえないのです。
内的人間が良好な人も、
悪い空気を吸ったり、自分に合わない食べ物を食べてしまったり、
社会的な仕事で疲れてしまったりと、様々な1日があるでしょ!?
不調和があるから、より調和しようと気をつけるでしょう。
善人でも、短い指に生まれて上手くギターが弾けない人生もあるのです。
病気と治療 P.19
安易な気持ちで哲学しようとする者は、「人間は調和的でなくては
いけない」といいます。このようにいう人は、大変な迷妄のなかに
います。人生は抽象的なものではありません。わたしたちが抽象的
に夢見るものは、遠い将来になってはじめて到達されるのです。
人生においては、不調和を通過した後に、はじめて均衡状態、調和
が現れてくるのです。調和を夢見ているだけでは、その目的に到達
できません。外的な人間と内的な人間が人生のなんらかの進化段階
において全く調和している必要はないのです。
昼間の体験を夜、霊的な世界にたずさえていき、それを規則的に能
力や知恵のエッセンスに変化させていると、外的な人間と内的な人
間が調和してきます。
私達が日頃、どのような経験や体験を積み、努力をし、
それにより、どのような能力と技能を身につけ、
どのような豊かな思想をもっているかは、どのみち反映されるのです。
だから、どんなことでも興味のあることに取り組み、
動物と違う意味で、自分達は経験を生かす自由があると悟りましょう。
そうすれば大切なものが沢山発見できると思いますし、
経験することに、もっと楽しみや積極性を持てるはず
健康につながる経験と体験と思想が未来を豊かにするでしょう。
次回はこの基礎をもとに『病気や健康や食事』について書いてみます。
*ホロスコープ(運勢)を覚えて応用したい方は、
https://the-xx.com/ 「タロット習得」にあります
*私の出すタロットによる実践に興味のある方はこちら
https://the-xx.com/uranai3.php/index.php?id=6
●引用したシュタイナー書物
■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。
*;*;+*+ *:*’*+
●実践経験&素直な言葉
<<動物と人間の違いについて>>
今まで理論的には動物と人間の違いについて
それなりに理解していたつもりだったのですが、
なんだか今回の『病気と治療』という書物ではじめて
本当の意味で「動物が閉じられた世界に生きている」というのが
わかった私です。時間がかかった~(笑)。
シュタイナーは今まで色んな角度から、そのことを述べてくれました。
人間の自書伝が可能でも、動物の自書伝はないということや
感情が同じようにあるということで、閉じられた世界の想定は難しい..
自由意志のない世界というイメージが難しいものでした。
動物は、快も苦も受け入れて過ごすしかない。
それは「犬でも逃亡できるやん」って話じゃないんですよね(笑)
動物は、私達が進化の途中で置き去りにしてきた部分を
引き受けてくれているという言い方もできるのですから、
そう思えば、彼らの環境をいかに確保してやるかが、
自分達の環境の確保にもなるんじゃないかな・・と思いました。
昔、ひねくれてしまって飼い主にどうしてもなつかなくなり
近隣の人に吠えまくり、嫌われ者になった犬の話を聞きましたが、
犬は、嫌われるか可愛がられるか、どんな環境にしても、
その環境を自分の意志で努力して、生き方まで変えることはできない。
そんな当たり前のことなんですが、実感がない理論だったことを
書いていくなかで実感の伴う理解ができたことが本当に良かったです。
やはり読者の皆さまに感謝しなくてはあきませんねぇ~(^^)
先月からシュタイナーブログと雪マガバックナンバーを一緒にした
新しいBlogに移行しましたので、覗いてくださいね。
コメントも打ってもらえますので、宜しければいらしてください(^o^)丿
日々の出来事の中のシュタイナー実践的なことも書いてます。
出来る範囲の健康と食事
>>https://yuki.the-xx.com/?cid=6996
──────────────────────────────
|●シュタイナーの言葉
人間が体験から得てくる諸印象は
やがて記憶から消えていく
しかし それらの成果は消えない
|★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”
・・・・・・・・後記・・・・・・・・
ここの所、2ヶ月に1回の割りで発刊していたけど、
今回は、先月も発刊したので人数的には少ないですが・・・
48人の方、ありがとうございました。<(_ _)>
前回の質問は『シュタイナー実践をやっていますか?』でしたね。
悩んだり困ったときに心がける方が12人で1位。
私のように、出来る範囲で実践している方は10人で2位ですね。
また「結構忠実に実践しているよ~」って方と、
逆に、「実践まではしていないのよん」という方が同じく9人!
結構シュタイナー関連の方がいらっしゃって嬉しいなぁ。
今後試してみたいと思う方も8人ですから、
できることから試してみてくださいね。
食事を少し変えていくだけでも結構良かったりしますよん(^^)
そして、今回は、経験や眠りについて書きましたので、
========
経験と能力についてお尋ねします。
======== クリックしてね。
1.経験や体験が能力に変化するのが確証できました(^o^)丿
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi?1
2.そういえば経験や体験が変換されている気がします。
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi?2
3.これから注意深く観察しようと思います。
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi?3
4.経験や体験を能力に変換できたことがありません。
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi?4
5.経験や体験の大切さは未だ理解できません。
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi?5
*クリックで投票できないときは、
https://the-xx.com/cgi/surveyyuki/survey.cgi で投票お願いします。
新しくなった『シュタイナーBlog』 ヾ ^_^
https://yuki.the-xx.com/ は、
新しい記事に関しては、コメントもできるようになってます。
文字色がついているだけでも見やすいかもしれませんし
同じ内容ですが、良かったら見てくださいね。
ちょこちょこコメントついてます。ありがとう~(^o^)丿
発行人: Active Tarot Reading 佐藤 よし子
https://yuki.the-xx.com/
★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”
解約をご希望の方は、下記の
指示に従って解除手続きを行って下さい。
【まぐまぐ購読登録・解除】
https://www.mag2.com/m/0000014293.htm
【めろんぱんにて登録・解除】
https://www.melonpan.net/mag.php?005701
コメント
yoshikoさんこんばんは
「病気と治療」に
人生においては、不調和を通過した後に、はじめて均衡状態、調和が現れてくるのです。調和を夢見ているだけで は、その目的に到達できません。外的な人間と内的な人間が人生のなんらかの進化段階において全く調和している必要はないのです。
と言う部分大事な観点だと思いました。
健康で病気をしないことが大事でもありますが、人生の後半に現れる慢性疾患ではなく、前半に現れる急性疾患は、人間の免疫を鍛えるために必要でさえあるとのことですからね。
動物と人間については、「動物の本質」カール・ケーニッヒ著が面白いですよ。シュタイナーを少し噛み砕いてあり分かりやすくなっていると思います。「分かりにくさ」も好まれるyoshikoさんにとっては、もしかしたらちょっと歯ごたえが無いかもしれませんが、地上の生物について俯瞰的な視点を与えてくれます。
ちなみに、眠っておきると、眠る以前は困難だった仕事や課題が、なんだ、悩むほどのことじゃなかったと簡単に片付くことは、よくあります。ちょっとした楽器の練習も、次の日になると、意外と前日進めなかった部分が、克服できていたりして面白いと思うことがあります。まあ、進歩の度合いとしてはわずかなものだと思いますが・・・。
こういうことを思想生活に受け入れる・・とは本当に難しいことですよね。時々、唯物的に「あるある大事典」なんてみて、納豆買ってみたりしたりして(笑)。
これが、大きなレトルトと思っている証拠! と思いつつ・・
色んなことが実感されるよう、徐々に体験を積んでいきたいです。
昼の経験が夜の睡眠中に霊界にもたらされ能力等の強化につながるということ。しかし能力等の強化につながらない部分もあり、それは次の人生にもたらされることになるという。後者については「そうか」とはじめて知りました。シュタイナーを長く学んできているのに、困ったことです。こんなふうに所々でわからないことがあったり、すんなり納得のいかないものを感じることがあるんです。このサイトに巡り会えたことで理解でき、深く得心のいくことでできて、とても喜んでいます。
ところで上記の記事と関連して引っかかっていることの一つを述べますので、教えていただけたらありがたいです。それは、睡眠中のことです。熟睡中は自我とアストラル体が肉体から離れるわけですから、肉体に意識がなくなるのは当然として、霊界にあるとき自我が自己を意識できないのはどうしてなのでしょうか。自我は霊界での出来事を覚えていていいはずなのに、何も覚えていないのはなぜなのでしょうか。自我こそ私という意識そのものであるはずなのに、です。よろしくお願いします。
大阪隆夫さま。
私が思うに・・・
自我が自分を区別する能力だとは思いますが、
それは物質界での最低限のことではないのでしょうか?
ご存知の通り、霊界は無意識、夢は半意識の世界です。
自我はまだ新しく、私たちには最低レベルの能力しかないので、
シュタイナーは実践を重要視して「能力の開発に伴い人間の視野が広がる」
とススメテいると思うのですが。。。そして
その実践のために、イマジネーション意識他、3つの意識を開発する術を公開しているのでは?
それが「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」であり、
その他の書物は、その説明みたいなものだと思っています。
感覚を超えた世界を認識するために何の修行もいらないなら
”そもそもシュタイナーは何を勧めているのだ!”
ってなっちゃったりして(笑)
詳細な説明は、様々な機会に頻繁に書かれていますから
きっと沢山書物をお持ちのようなので、あると思います(^^)
yosikoさま
早速にお答えいただきありがとうございます。
ご指摘いただいた点、実にその通りと思いました。
真の理解に至るための大きな穴のようなものに気づかされつつあるのだと思います。
ありがたいことです。
『ゲーテ的世界観の認識論要項』や『自由の哲学』
は心底より受容できる気がしていますが、『神秘学概論』になるとちょっと怪しい。とくに宇宙論が・・・。
ご指摘を踏まえ、見直してみようと思います。
これからもよろしくお願いしたいです。