★2004/7月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
タロット&神智学の智恵
【生活の神的な根源】
素直な喜怒哀楽【魂のチューニング】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・
ドラマのような夏の純愛
□■Active Tarot Reading☆
暑中お見舞い申し上げます。
ザザーーッ、という波の音。
森林にふりそそぐ太陽。
短い夏の一ページの始まりです。
毎日、お布団をフカフカに太陽光で干して、
扇風機の爽やかな風に涼んでいます☆
ビールにプールに花火大会にと、
皆様も大いに楽しんでくださいね!
|●タロット&神智学 の智恵
|【生活の神的な根源】
世俗生活と言われているものは、
生活の神的な根源を忘れてしまったときにのみ、
世俗的になったのです。。。と前回、引用しましたね☆
私も、ボチボチ、ボチボチと書いて行くうちに、
世俗的に生きるしか方法を知らなかった昔と、
縁がありシュタイナー実践を、ボチボチと始め
人間の深さを多少でも実感でき生きれていられる今日と、
その違いの大きさに驚いています (^。-)☆
今回は、神的な根源とつながっているとする
シュタイナー認識の壮大な展望の大筋をかいつまんで、
人間とは、どういう存在なのかをイメージしてみます★
神智学 P.10 まえがき
感覚的世界だけを通用させようとする人は、この叙述を空疎な想像の産物とみなすだろう。しかし感覚界を超えていく道を求める人なら、もうひとつの世界を把握することによってのみ、人間生活の価値と意味が見出せるという本書の観点をただちに理解してくれるだろう。人間はこの洞察をもつこと で--多くの人が怖れるように--「現実」生活から疎外されたりはしない。なぜならその時こそ、真に生きる態度が学べるのだから。この洞察は人生の諸原因を認識することを教える。この洞察がない場合は、人生の諸結果の中を手探りで歩んでいくしかない。超感覚的存在が認識されるとき、感覚的「現実」もまた有意味なものとなる。
だから超感覚的認識をもった人が人生のために一層有能になることはあっても、一層無能になることはない。人生を理解する人だけが、本当に「現実的」人間になることができるのである。
まず、十分にご理解のこととは存じますが、
超感覚的世界とは、なんぞや?と言いますと、それは『五官の及ばない世界』です。
そして文章にあるように、
シュタイナー実践を、誠実に行う人は絶対に、
世間から浮いた人生を送ることができないのです。
なぜかというと、実践の課題は、日常生活にあるからです。
シュタイナー認識は、物質界においては、事物が
五官に現われる際に、既に霊的なものが現われているとし、
まず、その読み方を知る方法を示しています。
「表面に現われている霊的な意味を読み取る」意味で
「物質の霊化」という言葉もよく出てきます。
それを要約すれば、
感覚的に示される一つ一つのことから、
自分の好き嫌い(共感反感)を排除して受容すれば、
自分の魂の中に真実を発見できるようになる。
例えば、
五官である「耳」に聞こえる言葉も、
聞こえたままの意味だと常に断定できませんネ。
スキな人に「好き」といえる人ばかりじゃありませんし、
乱暴な言葉使いでも愛情あふれる人もおります。
言葉だけ優しい詐欺師だっていますね。
『ひとつの”部分”で判断すると間違う!
すべてのことは、全体を見るようにして、初めて
総合的なことから事実が見えてくる』
(事物に語らせる・・と表現されていることです)
そのことから、
「物事の全体が見通せる人は、無意識であっても
既に霊界の住人である。」と、実践的観点の書
”いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか”
において例を挙げています。
感覚を超えた判断方法を身につけていくことで、
物質界を超えていく能力を開発するのです。
では、日常生活上で物質と魂の違いが不明瞭だったり、
実際に魂があると自分で思っていても
科学や理屈で肯定できない歯痒さもあるでしょ。
まずは肉体を含む【物質】の認識を引用してみます。
内面への旅 P.82
物質の最も顕著な特質が、空間に位置を占めていること、空間上に拡がっていることだ、と考えないといけません。この空間の拡がりは、高さと幅と奥行の三つの次元に従って計算されます。事物が空間上を三次元的に拡がっている、というのは、誰でも知っている事実です。三次元的に延長していることが、物質の最も顕著な特性なのです。
今までにも何度か、時間と空間について取り上げました。
シュタイナーは、物質界を空間、魂界を時間としています。
物質界の3次元的(縦×横×高さ)に存在するものは、
鉱物であれ、人間であれ、地球であれ、物質の法則に従い
全て崩壊に向かい徐々に進んでいくのが宿命です。
人間の肉体は、そのようなものです。
科学がいくら進み、寿命がのびても、頑丈な素材を作っても、
物質は空間の法則から逃れられないと覚えておきましょう。
では、私たちは跡形もなく消えていくのでしょうか?
内面への旅 P.81
感情、思考、意志衝動のような、魂の中の働きが、空間上に位置を占めるとは、とても考えられません。例えば英雄に関しての考えが凡人についての考えよりも5平方メートル分大きい、などというのは、ナンセンスです。
私達の魂の経過は空間上には位置づけられないのですから、空間上に存在する物質や素材とは違う性質をもっている、と言わざるをえません。魂の体験内容は拡がりを持った経過や状態ではないのです。魂の体験内容を、空間上の素材を見るのと同じように、素直に観察してみますと、魂の体験内容には物質とは別の特質が、それなしでは魂の体験がそもそも存在しえないような特質が見えてきます。それは、魂の体験は、時間の中で進行するということです。
時間の流れが意味するところは、『進化』です。
魂は、進化の法則に従っているといわれます。
物質は、空間内に並存しており、
魂は、時間の中を前後しているとイメージしてみましょう。
肉体と魂は、まったく違う世界のものでしょう。。。
内面への旅 P.83
私たちは、自分の内部の時間をどう体験しているのでしょうか。時計で読みとれる時間のことではありません。時計によって皆さんは、内面生活を外の事象と比較します。しかし、ここでは自分の魂の中で時間の経過がどのように生じるかだけに注意を払ってください。
そうしたら外的な知覚から離れた時間を考察することができないことに気づくでしょう。何かを見たり聞いたりしたあとで、魂の中に思考が生じるからです。
光も音もない世界に閉じ込められたら、時間は認識できません。
暗闇に閉じ込められ、すべての五官に示される出来事を奪われたら
何日経ったのか、今は昼か夜か、何も分からなくなります。
なので、魂の世界が「時間の法則」に従っているのなら、
魂の進化は、外界と結びつかなければ出来ないことになります。
その意味が悟れたら、物質界を軽んじることができないという
シュタイナーの示すことが多少なりとも分かってきます。
物質界は、粗雑ではありますが重要なものなのです!
物質界では、良い事・嫌な事、訳の分らないこともありますが、
それらとの正しい結び付き方を必要とするのです。
神智学 P.69
体と霊との中間には魂が存在している。体を通して魂にまで達する諸印象は一時的なものである。それらは、体がその器官を外界に開いている間しか、存在しない。印象、感覚もしくは知覚が生じるためには、外界の事物と肉体の器官とが現存していなければならない。
しかし私の霊が認識した真理は、現存するものだけに適用する真理ではない。この真理は、私次第でどうにでもなるというものではない。例え、私が薔薇に1度も向いあったことがなかったとしても、その真理が真理であることに変わりはない。
物質界には、魂界が浸透しています。
その魂にも、いくつかの段階があり、
以前に(2003/6/13「魂の区分」、7/3号「魂の区分2」)あげましたが、
◎もっとも低次の「感覚魂」
◎知性の「悟性魂」
◎真理が流れ込む「意識魂」….となります。
そして今回は、細かく説明しませんが、
霊(叡智)は、意識魂の中に開示される(霊は、意識魂の中を生きる)といいます。
【体から霊にまで到るには】
体の器官を通して
■外界からの情報を受取り感覚魂に情報が渡される。
(感覚魂は、動物同様の衝動、本能、情欲を司る)
この段階で行動に移さず、
■思考能力をもった、より高次の悟性魂に上げる
(ただ悟性魂は、まだ感覚、衝動、激情に巻き込まれている)
この段階で知性のみの判断に安易に任せずいる訓練をすると
■意識魂の中で、霊が開示される …とします。
魂の進化過程は、生まれてから、しばらくの間は、
動物と同じで「感覚魂」だけ働いており、後に成長に従い
悟性魂、意識魂を働かせることが可能になります。
外界での生活を通して、道徳感情が育成され、
その高まりが、意識魂の活動に相応しく成長した時に、
真理や、知性で測れない物事の解答が霊界から流れ込んでくる。
言い替えれば、
私たちは、知性や道徳を十分に高め、
知性が全ての回答ではないことを知り、
霊(叡智)を自分の中で生かす準備ができるだけであり、
霊界が認めてくれれることで、扉が開かれると言います。
”真理を真理として受取れる強さ” も必要なのです。
神智学 P.51
人間は思考を通して個人生活の圏外へ出て行く。彼は自分の魂を超越した何かを手にいれる。思考の法則が宇宙の秩序と一致していることは、彼にとって疑う余地のない事実なのだ。彼はこの一致が存在するからこそ、自分を宇宙の定住者であると考える。この一致が存在するという事実によって、人間は自己の本性が何であるかを学ぶのである。人間は自分の魂に真理を求める。この真理を通して語るものは、魂だけでなく、世界の事物でもある。思考が真理と認めるものは、単に自分の魂だけでなく、世界の事物にも関係のある一つの独立した意味をもっている。星空から受ける感動は私自身のものである。しかし天体の運行の法則を把握した私の思考内容は、他の人の思考にとっても、私の思考にとっても、同じ客観的意味をもっている。
2003/11月号「世界観の経過」.12月号「個性が生かせる世界観」で引用しましたように、
思考を通して、人間は動物を越えられること。
天文学、数学のように、研究室で考えた結果と、
現実との一致を確認できるのは人間だけです。
人間は、五官を越えて宇宙を受取ることが出来るのです!
神智学 P.70
霊によるこの認識が可能なのは、無常なる体的基礎に依存することなく、宇宙内容と魂とを結びつける働きをする一要素が、この魂そのもののいとなみの中に存在するからである。そこに顕現する宇宙内容自体が、どんな場合にも恒常不変のものかどうかを、今、問題にしているのではない。大切なのは、魂のためのこの顕現に際しては、魂の無常なる体的基礎を問題にする必要がないこと、この無常なるものに依存せずに魂の中で働いているものが問題なのだということである。
魂の中の持続的部分は、魂の無常なる部分に制約されぬ諸体験が存在する事実を認める瞬間に、観察の対象とされるようになるのである。さらにまた大切なことは、これらの体験がはじめは体組織の無常なる諸機能によって意識できるようになるかどうかなのではなく、魂の中にありながら、しかも知覚の無常ないとなみから独立して存在する真理をこれらの体験が含んでいる、ということなのである。
天文学のケプラーや現在もご活躍の数学者、秋山先生を
2003/11月号「世界観の経過」.12月号「個性が生かせる世界観」で引用しましたように、
魂は、素晴らしいことに宇宙内容や真理とつながっており、
それを五官を通さず見つけることができる
その法則や真理は、出会ったことがない人間同士であれ
どんなに遠い国の人であれ、全く客観的事実なのです。
その確信に到達して初めて、シュタイナーの言う
感覚を超えた世界を意識的に共有できるのだと思います。
『人間は、五官により見聞きする世界以外にも関係する!』
私たちは、当たり前のように、そのことを享受していますが、
その認識なしには、”人間は肉体が滅びたら終わり” と
感じても仕方のないことでしょう。
神智学 P.53
もし真理がそれだけで単独に存在するのでなく、真理の価値と意味が人間の魂の内容に依存しているのだとすれば、真理はすべての人間にとっての唯一の目標であることはできなくなるだろう。真理は、たとえすべての個人的感情が反抗するときにも、真理である。
私たちは、道徳や善というものを、自分の中に生かすほど、
動物的な感覚魂から超越させていくことが出来ます。
人倫=善を守り、弱さを克服して生きる限り、
魂が担っている真と善は、魂の中の不死なるものです。
私たちは、真理の世界の住人でもあるのです!
内面への旅 P138
現代の自然科学は、ダーウィンの影響の下に、感覚の世界だけを観察して、「生存競争」という重要な自然の原理に達しました。
海の動物たちの無数の卵は、海中や砂浜において死滅し、ごくわずかなものだけが実際の動物に育っていきます。そこからすでに、一見恐るべき生存競争が始まっています。
感覚の世界だけに目を向けていれば、ただ嘆き悲しんで、「生存競争の中で、数百万、数千万の卵が死滅していき、わずかな部分だけしか生き残らない」、と言うしかありません。しかし、これは認識の一側面にすぎません。麦畑には豊かに稔った穂が見えます。しかしその大半は本来の目的を達することができず、わずかな部分だけが地に落ちて、新しい植物に成長します。けれども、考えてみてください。何かを食さねばならない人間にとって、すべての種が大地に播かれたとしたら、どうなるでしょうか。理論的にはどんなことも考えられますが、穀物のすべての種が成長する場合を考えるとしたら、穀物を養分として摂取しなければならないものたちは、どうなるでしょうか。
ここで非常に奇妙な事実に行き当たります。感覚的な存在として穀物畑を見ますと、すべての種がふたたび食物に成長すればいいと思います。しかしこの観点は多分間違っているのです。宇宙の全体的関連を考えますと、どの穀物の種子も植物として成長する目的があるわけではなく、他の動物の養分に供せられる穀物が、宇宙目的に叶っていない、とは決して言えないのです。同様に魚になれなかった卵には、宇宙目的が失われている、とは言えません。どの種子も育つべきだというのは、人間の先入見にすぎません。なぜなら、全体に目を向けるときのみ、個々の存在の使命が分かるのですから。
外に立って知性を働かせる人は、自分の感覚を通して見ることのできる目標に向っているものだけが、有意味な生き方をしている、と信じています。先入見なしに自然に目を向ければ、どの生物のどの段階においても、完全なものが見えます。その完全性は、或る存在になるときに現われるのではなく、今ある存在であることの中に現われるのです。
真理は、たったひとつではありません。
個々の真理と、より大きな真理、矛盾を感じる場合も…けれど、そのような場合の多くは、
特定の立場や視点に立っていないか注意してみましょう☆
人生に現われる苦悩も障害も、不意の出来事も
今起きている事実の中に意味が見出せるのです。
又、シュタイナーは
人間の記憶と能力について、説明しています。
私たちは起きている間、常に魂を働かせ、
外界から、感覚を通して情報を得ています。
周囲の至るところから五官を通して印象が入って来ています。
けれど、その全てが意識されるわけではありません。
そのことを、先ほどの魚の卵に例えているのです。
無数の印象の中から、意識されるものは魚へと成長するもの、
その他は、養分として取り込まれ人間を形成する力になるもの。
すべて無駄にはならないのです★
神智学 P.77
読み書きを習った頃の幼年期の体験すべてを人は憶えていない。しかしもしこれらの体験をもたず、それらの成果を能力という形で保っていなけれ、人は読むことも書くこともできない。
魂は体験を記憶に残し、霊は能力を高め、生活内容を豊かにするものをそこから吸収する。人間の霊はこのように摂取された諸体験を通して成長するのである。
私たちが空間的素材を失った暁には、
本来の時間の中に戻るでしょう。。。
無常である物質界での経験を、
魂の生活により持続的な成果とできたら、
すがすがしい気持ちで、霊界へ凱旋するはずです!
そして今この時も、魂の進化に努め、
真と善の世界を故郷にすればするほどに、
物質界への有意義な贈り物が流れこんできます★
この空間に生きる間の、限りある時間を大切に
愛おしい人、愛おしいもの、多くの有意義な関係を望みます。
●引用したシュタイナー書物
シュタイナー選集 第1巻 神智学イザラ書房(廃版)
内面への旅筑摩書房
■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。
*;*;+*+ *:*’*+
|●実践経験&素直な言葉
|<<魂のチューニング>>
なにができるか分からなくなったり、
なにがしたいか漠然としてしまったり、
人間には波があると、つくづく感じます。
そんな時に私がするのは「魂のチューニング」!
例えば、なにか目標をもって努力しているとして、
同じような内容の日でも、どう判断するかが大事☆
・十分なことはした…とするか、
・まだまだ不十分だ…とするか。
十分だと思う方が、納得できプラス思考になるか
不十分と感じる方が、気合いが入りプラス思考になるかです。
十分でないと感じたほうが、
明日の「希望的努力」の意志がわくなら「十分でない!」とし、
不十分さを感じてマイナスな気持ちが続くなら
いっそのこと「今日できる十分な過ごし方をした、感謝します」
と、いさぎよく納得して明日の「やる気」を持つほうが吉。
本当の現実とは、微妙な霊界の真実のこと!
だから私は、魂の気分を希望にチューニングします☆
そのことを忘れないことが、日常の波をコントロールする術。
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|●ゲーテの言葉
君の相手が 君の理想どおりの人物であるかのように
敬意をもって 接し給え
そうすることによって 君は彼を
ギリギリまで 高めることができる
|★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”
・・・・・・・・・後記・・・・・・・・
最近始まったドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」を見ていたら
昔、私が持っていたのと同じラジカセが出てきて
すごく懐かしい気持ちになっています☆
「そういや自分も懐かしい思い出あるよなぁ・・・」という貴方。
それでは、
========
ドラマのような夏の純愛の思い出おあり?
======== クリックしてね。
1.ドラマレベルのロケーションあるよ~ん☆
2.平凡だけど、胸キュンの思い出あるよ。
3.今年、思い出つくらせて!大好きな人、待ってまーす☆
4.小学校・幼稚園の思い出ならあるけどぉ。(^_^;)
5.そんな思い出ないし、今年もチョット無理かも。。。
私は、「1番」。17歳の思い出です。(⌒^⌒)b うふっ
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