★2000/12月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
【神智学】
素直な喜怒哀楽【このままで良いのだろうか】 *:・°
□■Active Tarot Reading☆
書く時間がなく1回分とばしてしまいました。
ごめんなさい。
最近、落ち着いて考えてみたところ、
いかにして・・・、の基礎となる
シュタイナー選集第1巻「神智学」について書こうと思います。
HPにも神智学のごく一部《人間の本質》にはふれてもいます。
近いうちにHPを上手くまとめる方法が見つかれば・・・と思うのですが。
●タロット&神智学 の智恵
【神智学】
気に入る気に入らないを基準に行動するばかりでないとしても、
意見の違いや諸々の事情で、不快さを味わうことってありますね。
それは相手が礼に反することをしているとか、
自分は常識的に考えられているのに!
という自己肯定で考えるところ
相手によって、不快にさせられていると判断したり、
怒りを覚え、腹をたてたりします。
ゲーテのいうように、
人間は周囲に対象を認めると、すぐそれを自分自身において考察する。そしてそれは当然である。なぜなら対象が自分の気に入るか否か、自分を惹きつけるか否か、有用か有害か、ということに人間の運命全体がかかっているのだから。事物を観察し判断する際のこのまったく自然なやり方は、どうしてもそうしてしまうくらいにまで容易なやりかたのように思われている。
けれども人間はそうすることで、無数の誤診にさらされており、その誤診がしばしば自分を赤面させ、自分の人生を辛いものにしているのである。
この考えは普通にしていると、ごく自然にしてしまっていますね。
タロットの読みも、冷静且つ正確にしたいと思うと、
どうしても上記の思考回路を改める必要があります。
私は、自分のためにタロットを使ってほしいと思う方ですから。
そうなれば、引用の思考回路を克服することなしには、
・自分に不快なことが起こった状況の中
・悲しみにくれる状況の中
において正しいReadingができずに
いざという時、役に立たないものになってしまいます。
その思考回路の修正の書《いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか》をお勧めしてまいりましたが、
実践部分を読みとおすには、どうしても「神智学」の基礎が必要です。
それは人間の注意を体・魂・霊の3つに向けるところから始めます。
■第1■
感覚の門を通して、絶えず人間に触、嗅、聴、視の情報を流している対象
■第2■
この対象が彼に与える印象
・人があるものに好感をもち、他のものに反感を持つときや
・あるものを有用と見、他のものを有害と見るときに対象から受け取る気に入る気に入らない印象
・欲望、嫌悪の印象
■第3■
いわば『神的な態度』で対象について獲得した認識内容
・この対象が彼に明かしたその作用と在り方の秘密
これを神智学では、
体・魂・霊 という3つの言葉で書かれています。
だからと言って、語句に潜入感をもたないようにしてください。
それがどのようにして3つの世界として現れるかが、例えられています。
P31後7行
私が花の咲いている牧場を通るとしよう。
花々は私の目を通してその色彩を私に伝える。このことは所与として私が受け容れる事実である。 私はその華やかな彩りを楽しむ。このことによって、この事実は私の要件となる。私は自分の感情によって花々を私自身の在り方と結びつけたのだ。
1年後ふたたび同じ牧場を通るとしよう。そこにあるのは別の花々だ。もう1度喜びの感情がそれらから私に生じてくる。昨年の私の喜びも思い出として立ち現れてくるだろう。その喜びは私の中に存在しており、それを呼び起こした対象はもはや存在していない。
しかし今私が眼の前に見る花々は昨年の花々と同じ種類のものである。
それらは昨年のものと同じ法則に従って生長しているのだ。もし私がこの種類とこの法則とを知っているなら、それを昨年の花々の中に認めたように、今年の花々の中にも再び見出すだろう。そこで私はおそらく次のような感情をもつことができよう。
昨年の花々は消え去ってしまった。それらに対する私の喜びの感情は記憶の中に残っているだけであり、その感情は私の存在と結びついて存在しているだけである。しかし昨年の花々について認識し、今年も再び認識するもの、それはこのような花々が生えている限りは存在するだろう。それは私に開示されたものではあるが、
私の喜びとは異なり、私の喜びの感情は私の中にある。
花々の法則と本質は私の外に、世界の中にある。
■体とは、
植物同様、外界の素材が私達の体を構成しています。
そして私達が死ねば自然界に分解していきます。
感覚により観察もできます。
■魂とは、
好んでいるか嫌がっているかなど
■霊
花々の法則など、私達の存在とは別に存在するもの
悲観的な状況の中で、タロットを読めるか否かは、その能力次第。
運命を読むときは、
自分が今、悲しいから悲観的に読むのでもなく、
楽しいから、上手くいっていると信じるわけでもなく、
■魂の共感反感 で読まず
■霊的客観性 で読む
ということなのです。
私達は人生を霊的に読むことによって、
魂を救うことができると示されているのです。
喜びも打撃も霊的に読むときは、単なる悲しみ喜びを超えた意味を示してくれるのです。
P59後4行
成熟した人間と未成熟な人間とが同じ植物を見る場合、それぞれの自我の中にはまったく別のものが生きている。にもかかわれず両者の感覚内容は同じ対象を通して呼び起こされたのである。
両者の相違は、前者が後者よりもずっと完全な思考内容をつくることができたという点にある。もし対象がもっぱら感覚を通して顕現するだけなら、霊的進歩はどこにも見出せないだとう。
生きる力を得られるかどうかは、この霊的認識にかかっているのです。
感情に振り回されて生きるのか、霊的判断を身につけるのか。
それがたまたま皆さんのタロットにも生かされますし、
生きていくすべての真の力になる! と私は実感しています。
これらの念頭に、実践を読み勧められると効果は上がるはずです
いかがでしょうか?
*・*・・*・ *・*・・*・
●実践経験&素直な言葉
<<このままで良いのだろうか>>
「このマガジンの発刊を決めたのは、精神力を高め
人間を強めることは、タロットにも人生にもプラスになる。」
と思ったから!
私がタロットを
・どんなときでも冷静に
・自分の窮地にでも開き直って
Readingできるのは、すべてシュタイナー実践のおかげである!
安定した精神状態を保てる今、強く感じていることです。
そんな「智恵」シュタイナーをお知らせしたい。
そう思いました。
しかし、すべての状況に置いて実践が一番の意味をなすもの。
理屈をのべた所で、何も正しく表現できないこともありえます!
実践なくしては、成長がありえないことを、いかにして伝え
1人でも本当に、取り入れて頂けるか・・・と思いつつ
この忙しい世の中、本当に困難である・・・と思う気持ちは強いです。
シュタイナーのいう
文明にひたっていきている人に超感覚的世界の認識を獲得するのは非常に困難である
というくだりが重みを増してきます。
感動やより深く掘り下げたいとの嬉しいメールも多々ありますが、
自分が恵まれた状況を築いていたことがわかり、
現在の忙しさ(仕事が後手後手になりつつある、ギリギリの状況)の中で、
再び、集中し状況を築けるか? と問う気持ちと
築かねば! 絶対にすべき! とも感じています。
このマガジンを私の日記のようにしたくも、ありませんし、
順を追って実践の大切さと成果についてふれられれば・・・と、
思いますが、なかなか難しいことです。。。
HPに整理してみることや、
掲示板などで、語り合えるようにした方がよいと思ったり
また、マガジン発刊の意味自体ががあるのか?
を見なおしてみようとも思います。
ご愛読くださっている皆様のご意見も参考にするつもりです。
判断できる事柄はあらためて学び取る必要のない事柄である。このことを念頭においておく必要がある。それ故、もっぱら判断ばかりくだしている人は、そもそも何も学んでいない訳である。ここでもっぱら学び続けようとする意志が問題なのである。理解できない事にであったら、それに対して否定的な態度を取ろうとせず、むしろ全然判断を停止した方が良い。そして理解を将来に残しておけば良い。
ということに従い、
しばらくこのマガジンを不定期にしたいと思います。
皆さんからのご意見等メールなどは、いつでも歓迎しおりますし、
発刊不定期中にも、相応しい題材が浮かんだ際には発刊したいと思います。
そして、いつでもこの相応しい方法をとることにより
先々の答えを楽しみにしないといけない、と考えています。
by Active Tarot Reading
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