雪の重さに耐える愛する心

シュタイナー実践、気づけば30年間近「マジか?」

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか【条件】第2回

★2000/2/15号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
タロット&神智学の智恵
【いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか【条件】第2回】
素直な喜怒哀楽【重い気持ち】 *:・°

□■Active Tarot Reading☆

今年の風邪はA型とB型の2種類あるらしいです。
私は順に二周りしていて、喉痛から鼻までフルコースを2回!
皆様もうんと注意して下さいね。
はっきり言って鼻の下、むけてますポロリ

●タロット&神智学 の智恵

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.28
 しかしそれが外的な生活規則にとどまっているのでは、何の意味もない。それはわれわれの魂の最も内なる部分で有効に働いていなければならない。
人間の自己改革は内なる思想生活の深みの中で遂行されなければならない。ある存在に対する敬意を態度に表しただけでは不十分である。この敬意を思考内容として持たねばならない。
 まず第一に畏敬の念を思想生活の中に受け入れること、それが神
秘学徒の出発点である。自分の意識の中にある不遜な、破廉恥な思考内容や軽蔑的な批判の傾向によく留意し、まさに畏敬という思考内容を育てることから始めなければならない。

私は本当に信じて進歩したいと16年前に思ったのでした。
私は気質論で言うと、主に「水と風」が多くを占めており、
特に風の特質が出ている場合は、
シャープになり軽べつ的・批判的な傾向に強く傾きます。

ばかばかしく、気恥ずかしいような気持ちですが正直にお話しすると
実践により、かなりの部分で楽になりました。
自分の中で何かが新しく目覚めるのではないか?
と、いつも期待と前倒しの喜びを感じ自分を見張りました。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.29
 世界と人生とについて判断する際に、軽蔑したりさばいたり批判したりしようとする自分の態度の中に何が潜んでいるのか。それに注目しようとする瞬間は常にわれわれを高次の認識へ近づけてくれる。そしてこのような瞬間に、われわれは意識の中の世界と人生についての思考内容を讃美、敬意、尊敬で満たすような場合、われわれは特に急速な進歩を遂げる。

先日、昔のノートが出てきたんですよ~。
<考察のページ>と書かれており、そこには、
いらついたり
人を批判的に思ったりしたとき、

相手の名前を書き
・うるさい
・やりたくないことを求められる
・いうことが違う
・気まぐれ etc.
と、何にいらつくか?何が嫌いか? が書かれていて、
最終的にはいつも「自分にとって何事かにすぎない
と書いてありました。

その人はなぜそうなのか客観的に心情を理解し、
相手の対応でイチイチ自分の心にいらだちを取り込むのは
マイナスであると、繰り返し学習していたいたみたいです。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.29
 このような瞬間に今までまどろみ続けてきた諸力が目覚める。このことは修行を積んだ者によって常に経験されてきた。霊眼はこのことを通して開かれるのである。それまでは見ることのできなかった事物が自分の周囲に見えるようになりはじめる。人はそれまで周囲の世界の一部分しか見てなかったことを悟り始める。自分の前に立ち現れてくる人間が以前とは全く異なった形姿を示すようになる。この生活規準だけではまだ、例えば人間のオーラといわれているものを見るようにはならないだろう。そのためにはもっと高次の修行が必要である。しかし高次の修行の段階に至ることは、その前に精力的に畏敬の業を修めておかなければ、不可能である。

まどろみ続けてきた諸力が目覚めるというのは、
昔帰り的な霊感というものとは全く違うことです。
一般的に雑談している場合は、
シュタイナーでいうと主に心霊的な話ということになります。
ですから緒力が目覚め見えるようになりはじめることは事実ですが、
へんな想像をして怖くならないうようにしてd(^-^)ネ!
緒力に伴い必ず自分に傲慢な性質が表れるため
畏敬の行は最初から一生懸命するのが大切です。
でないと芽生えた力で人を不幸にし、自分も破滅するでしょう。
平々凡々と、プラスに役立てれば良いですね~

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.30
 神秘学徒による「認識の小道」の歩みは世間の目につかぬように、静かに進められる。誰も彼の変化に気付く必要はない。彼はそれまでと同じように義務を遂行し、以前と変わりなく稼業に励む。変化は外なる目の及ばぬ魂の内側でのみ進行する。まず初めは人間の心情生活全体に、尊敬に値するすべてのものへの畏敬、という基本的な気分が照り輝く。このただひとつの基礎感情が魂の生活全体の中心点になる。太陽がその輝きを通して生あるすべてのものに生気を与えるように、畏敬の念が神秘学徒の魂の営み全体に生気を与
えるのである。

自分の中だけの変化にとどめる・・・ということは、
とても難しいことでした。実践をしていると、
少なからずも何らかの経験を得たと思えるような事柄がでてきて、
それらを人に話したくなったり、
理解した小さな知識で少しえらくなったんだ! という喜びが芽生え、
時間がたつとそれが畏敬の念を壊すことに近づきます。
畏敬や人間の尊厳というものを有り余るほど吸収しておくのが鍵。
実践し始めて1年ぐらいたった時によくその状況がみられます。

<<本当に怖かったです。>>
微々たる判断力を得ただけで、
平常に生きている周囲の人々に何事かをいえるかのような勘違いが芽生え、
急に抑えてきたはずの批判的な態度が現れ、
またそれが自分の正しい態度であるかのように感じるのでした。
どうしてもどうしても畏敬の念が不足しやすくなります。
以前と変わりなく、という状況を絶対に心得る必要がありました

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.30
 尊敬や畏敬のような感情が認識に関係があるとは、はじめのうちは信じがたいだろう。それは認識行為が魂の中の他のもろもろのいとなみとは別の特殊な能力であると考えられやすいからである。しかし認識活動もまた魂の行為なのであり、感情は魂にとって、肉体にとっての栄養分に等しい存在なのである。もし何のかわりに石しか与えられなければ、肉体は活動停止する。魂も同様である。魂の養分としての尊敬、敬意、畏敬などの感情は魂を健全で力強いものにし、特に認識活動に活力を提供する。

それはいったん何らかの能力が芽生えた後でも同じです。
常に心を浄化する栄養分を吸収しなければ、
育ち始めていた芽も枯れてしまいます。
私は失うほどの、たいそうな力がなくても、
魂の養分をとる時間を作らず、パソコン等の習得にかまて、
最も適切な判断は何なのか?が漠然としてしまったり・・。
毎日ご飯を食べるのと同じことなんですね。魂の養分摂取も。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.30
 認める価値があるもの過小評価したり、軽蔑したり反感をそれに感じたりすることは、反対に認識活動を麻痺させ、不活発にする。
 神秘学者はこの事実をオーラの中にはっきりと認める。畏敬の念に満たされた魂のオーラは変化している。赤黄色、赤茶色と呼べるような霊的色調が消え、赤紫色がそのかわりに現れる。それは認識能力が開発をされた印である。
 周囲の環境の中の、以前は予感もしなかったような諸事実が理解できるようになる。畏敬が魂の中に共感作用を呼び起こし、この共感作用によって引き寄せられた周囲の存在のこれまで隠されていた特質がわれわれの間に立ち現れてくる。

自分の私的感情に捉われた判断をすることで、
結果的に自分の首を絞めることになるんですね。気をつけねば(^_^;)

次回に続く

*;*;+*+ *:*'*+
●実践経験&素直な言葉
<<重い気持ち>>

周囲の方々は弱り、とても刹那的になっています。
人間は悩みを持つと克服できないものでしょうか
悩みは常に苦しくマイナスなのでしょうか・・・

悩みを解決し一回り大きな視野を持って周囲が見れた時の喜びは
決して忘れられない幸福感があります。
練習に練習を重ねてやっと優勝したときのような感覚かな。
一度そのことが経験できれば、常に思い出される経験になります。

私はどんな人も常に自分自身がライバルだと思います。
悩みをどうしても解決できない人も他者からはその解決の道が見えています。
ただ、その方自信がそれを見ようとしていないだけ。
重い気持ちは、救いを求め、誰かが助けてくれるのを求めます。

そのような弱い弱い人に触れるたび
プラス思考の人に比べてどれほど苦しく希望がないことだろう
と感じ、
本当に自分の無力さが嫌になってしまいます。
そしてその人を光の方に向けられないことが、
私の悩みになるのです。

いくら同じことを話しても、いくら一生懸命に語りかけても
3日もすれば同じ状態に戻って
同じことを嘆いているその人を見ていると脱力感です。

しかし思想生活に何かを受け入れているということは、
無駄にはならないのが味噌。だって、そんな場合にも
「有効な思考はないものか」と頭の中を探しますもん。
そして今回も見つけました。

大切なのは今の現実を見るだけでなく
「今どのように考えたら、少しでも未来が豊かになるのか?」
そのことなのだ! 今私の気持ちが通じず、
新しい思想生活を持つことがなかった人に、
即座に希望が与えられないとしても
チャンスがあれば、いつかはそのような機会に恵まれるはずだ。
そう思いました。

ネットの占いフリーカーには苦しみますが、
自分の力のなさを嘆くよりも、私は未来に希望をつなぎます。
これから、より私が勤勉に取り組めばいいことだ。
現場に嘆けば嘆く分だけ善なるエネルギーが失われ怠惰になっちゃう。
今、影響を及ぼし得ない人にもいつか私の声が届くように、
そのいつかは神に任せようと思います。

苦しさが続く人たちにも必ず光が見える時が来るだろう。
今、光がないことを
その人たちが永久に損をするように考えるのはやめよう。

今できないことは「できるようになりたい」と願いましょう。
そのために希望を持つ思想を思い出します。
暗さからいつも気持ちを切り替えて、できることを実行します。
そして希望が実現する日のイメージをつくります。
「どのように考えたら、少しでも未来が豊かになるか?」
私にとって大切な思想です。
このことを今私の影響が届かない特定の相談者に捧げます!
あなたの転機を祈って。
そしてこの思想を必要とする他の人達に届けばいいなと思います。

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