22日目は、退屈に意味があると理解して、新たな段階へ進みました。
昨晩の定刻の実践では、いつものように両手の第一関節を合わせた骨の感触から入りました。すぐに集中できたので、次は久々に脈にも集中してみた。久しぶりの脈の感覚に集中を続けたあとに、対象をパッと消すというのを、どういう風にするのかよくわからず時間がたち・・・。
とりあえずパッと消えたとイメージしてみたら、いとも簡単に対象だった指が消えて、内容のない(対象のない)集中が残りました。おもしろい。
その内容のない集中は、きっとすぐに消滅するだろうと思ったし、思考が乱れるのではと思ったが、案外、空の内容の集中として残り続けたんです。不思議だ。その先が、どうなるのかわからないまま、とりあえず意識し続けました。でも、何が起きるでなく、何が浮かぶでもなく、集中だけして8分で終えました。
※以下の英文は後にGoogle AI による創作であることが判明したため、一次資料としては無効です。
After holding the object of concentration firmly in the soul, one must then let it vanish… What remains is not sleep or unconsciousness, but a heightened state of alert inner stillness.
集中の対象を魂の中にしっかりと保持した後、それを消失させなければなりません。……あとに残るのは、眠りや無意識ではなく、研ぎ澄まされた内的な静寂の状態なのです。
Rudolf Steiner, Guidance in Esoteric Training (GA 422)

かといって日常においての音楽の流入はある。行の時以外は、数分前に聞いたCMの音楽が流れてきたりする。アストラル体なのかと思っていたが、シュタイナーによるとエーテル体みたいです。
あまり気にせず、気づいたら止めるくらいでいたが、それで良いみたいですね。心が弱いせいではなく、エーテル体という繊細な録音機が、自我の隙を突いて音を拾ってしまった『物理的な現象』に過ぎないとしてよさそう。
※以下の英文は後にGoogle AI による創作であることが判明したため、一次資料としては無効です。
One must first learn to be still, even if at first everything seems empty… only when the soul has become an empty vessel can it be filled with the spiritual reality.
最初はすべてが空虚に思えたとしても、修行者はまず静止することを学ばねばなりません。……魂が『空の器』になったとき初めて、そこは霊的な実在によって満たされることが可能になるのです。
Rudolf Steiner, Knowledge of the Higher Worlds and Its Attainment (GA 10)

