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尊敬から発展へ

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★2005/2月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■


タロット&神智学の智恵
【尊敬から発展へ】
素直な喜怒哀楽【人の運命と出会い】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・
2005年、どうするべきだと思う?
□■Active Tarot Reading☆



こんにちは!お久しぶりです。
ご愛読、ありがとうございます☆
暖かくなったり、凍えたり、ころころ変わる天候ですね。
私は、一日中、靴下をはかない習慣なので、
最近めっきりコタツから出ません。
今回も、なんとか意図が伝わるコメントが書ければ・・・と
コタツで素足にて書いております(笑)。
今回は「魂の自己教育が世界を平和にするかもしれない!」
という幸運の相乗効果をねらったイメージで書きました。
原文(引用文)をしっかりお読み頂けると嬉しいです☆

|●タロット&神智学 の智恵
|【尊敬から発展へ】

前回(未来を判断できる魂)は、
知性や概念操作の有効範囲について書きました。(^-^)

少し復習しますと、
 -復習-----------------------
 カントは『純粋理性批判』の中で...
 ある面では肯定的な、別の面では否定的な証明を行って
 宇宙には始まりがあることを証明し、次に宇宙には始まりが
 ないことも証明し、このことを「二律背反」(アンティノミー)
 と 名づけました。
 それは簡単にいうと、
 経験を生かし、どれだけイケてる概念操作をしても 
 概念で真実に近づけるとは限らない、思考の限界.
 を示したのです。

なのにシュタイナーが思考を大切にする理由は、あれこれ概念操作をすることを通して、やがてどれだけ正しい判断をしても必ずしも現実と一致しないことを知り、自分で判断を導きだそうとする姿勢から『帰依』と呼ばれる正しい感情を追加するキッカケになるから

 ということでしょう。

全部忘れちゃってる場合
 --------------------------

「正しい感情」とは、チョット傲慢な表現な気もしますが、
自分の魂(好き嫌い)の傾向で行動することにより
アツレキや迷いで右往左往して苦しむ流れを脱し、
自分が受け取り手になる「帰依」という発想で
多くの者と融和し、自我を開かれたものにする…
ということ(前々回 一瞬と永遠を生きる自我)ですネ。
言い換えると、
魂の傾向を克服する為「思考・知性」を使用しますが、
次段階では更に「思考・知性」も越え「帰依」を加える事に(前回)。

ともかく「共感反感からの脱出」や「思考」により融和に近づく
前々回&前回の流れを再確認してみてください(^-^)
———————————————-
ここまでで既に頭が混乱している方はバックして再読してね☆
  バックナンバーもご参考に!
———————————————-

■今回のメインは【自我】について

 >>自我の特徴を把握してみましょう<< 自我は、自己の中に閉じこもると、他者を制圧し
どこまでも自分本位になりうるものです。
自分の魂の傾向に従うと好き嫌いにより敵対し自己主張します。
知性と結びつくと、知性の特徴であり科学の発展を進めた
「違いをどこまでも細かく区別」しバラバラに多様化します。
個と個の関連が見つかりにくく、表面的になるのです。
けれど知性の上に新たに「獲得する」霊性により、
一度愛に目覚めると犠牲も恐れない崇高なものとして
他者と融和していくことができると云われるのです☆

黙示録の秘密 P.63
人間がもっとも深く物質の中に下降している現代、神の七つの霊と七つの星を指導者として私たちに与えた偉大な人物にならって、精神生活へとふたたび上昇し、正しく道を歩むことを知るなら、人間は自我を正しい高みへと進化させ、自立し、黙示録でフィラデルフィア(友愛)の教区という名で表されている叡智と愛の精神生活をもたらします。
 私たちは個的な自我を私たちの中に見出し、自ら望まないときには、外的な力が私たちに働きかけることができないようになります。私たちは閉じることができ、私たちの意志を無視しては、誰も開けることができず、私たちが開けるときには、どのような力によっても閉じることができないのです。

七つの霊とは、人間の7つの構成要素。*1
七つの星については簡単な説明は不可能ですが…
シュタイナ-の宇宙論関連の書物をご参考に。
そこにある7つの文化期を導く崇高な霊(叡智)を指します。
それらを与えた存在といえば更に目も眩むような崇高な存在☆

なぜ『七つの星』かといいますと、宇宙論でいう文化期とは
現在の地球ができて消滅する間を1文化期とするような
「星の生まれ変わり」を示しているからです。
現在は第5文化期とされており、
フィラデルフィア(友愛)の教区は第6文化期です。

<体の区別>
 1.肉体–物質で構成されたもの
 2.生命体–生命を与えるもの
 3.アストラル体(魂)–共感反感などの内界・意識を与えるもの
  (ここまでが低次の要素)
 4.★自我(私)–世界で唯一の自分
 5.変化したアストラル体としての霊我
 6.変化した生命体としての生命霊
 7.変化した肉体としての霊人 

….これら7つが活性化され初めて全人となり、
  いわばフルパワーとなると考えましょう!

>例えは アニメ犬夜叉になりますが...
  映画版でしたっけね(?)犬夜叉が父親の剣に宿っていた
  強い妖怪と戦い敗北寸前の場面で、勝利目前の妖怪が
霊力がある妖怪ならば、力の差や敗北が分かれば、あきらめるはず” を問うた時に、半妖の犬夜叉は
 「半分人間の血がある自分は、どこまでもあきらめない」
 と言いました。人間は欲望の為に此の世を破壊し尽くす
...という設定はよくあるストーリーですが

正しい自我に目覚めた主人公の犬夜叉はあきらめないのです。
「血」とは「自我」の象徴でもありますし、
動物と違い、初めて【個】として認識できる能力です。だから!
|霊力ですべてが見通せない人間だからこそ|
|個々の人生において愛と努力で不可能を可能にできるし|
|個として、他者に自分を捧げることができる|
ということですd(^-^)ネ!

ではでは【自分をフルパワーに育てるには、どうすれば?


まず、魂の傾向(反感)を乗り越える必要がありましたね?
そして共感反感(魂の傾向)を知性により克服しても
それにより
|自分は優れているし、評価の最もよい仕方を心得ている|
と、あらかじめ思って自分の立場を変えるつもりがなくなれば、
何も学ぶことが出来ないのは当然ですよね?(納得?)
それぞれの人が、
・自分の学んだもの ・自分の考え ・自分の世界  が
一番正しいと思うなら、アツレキを知性や義務で克服しても
せいぜいの所、本音と建前の論理くらいしか生じませんもんね。
もしくは、好きだの嫌いだので選択していたことが、
せいぜい、損だ得だと計算可能になるくらいでしょう。
なので、単なる知性も超えていくことが重要になります。

いかにして超感覚的世界(略) P.25
尊敬する人物を畏怖(聖なる恥らい)の眼差しで見上げる子供たちがいる。その子供たちは心の奥底に批判や反論の思い浮かぶのを禁じようとする畏敬の念をもっている。
 やがて若者に成長して、何か尊敬すべきものを仰ぎみることができたとき、彼らの心は喜びに充たされる。そのような「人柄」の中から、多くの神秘学徒が育っていく。
 あなたもかつて、尊敬する人物をはじめて訪問しようとして、その戸口に立ち、ベルを押し、そしてあなたの「聖域」である彼の部屋に案内されたときに、後年の人生の萌芽となりえたひとつの感情があなたの内部に湧き上がった経験をもっているであろう。
 成長する人間がそのような感情を出発点としてもつことができるのは、常にひとつの幸運である。それが後には真理と認識に対する畏敬にまで発展する。尊敬するに値する相手に対しては、それにふさわしい仕方で尊敬するという態度を学んだ人間は、精神を自由に保つすべをもよく心得ているものだ。

不意に尊敬の念が湧いてくるような
そういう緊張の瞬間ってありませんでしたか?(^-^)
それは大変、大きな力の元になります。

野球Kids、ミュージシャン、文化人、たとえ架空の英雄であっても、
尊敬の気持ちが湧いてきたなら、その気持ちは本物です。
理屈抜きに、彼らを見習い真似たいと思うでしょう。
万一、アドバイスでも貰えたなら絶対に守るし、
守って出た成果をいつか見て貰う日を信じて待ちこがれるでしょう。
そういう輝くような気持ちが「認識」への第一歩です!

いかにして超感覚的世界(略) P.26
我々よりももっと高次の存在があるという深い感情を自分の中に生み出すのでなければ、我々自身が高次の存在へ高まる力を内部に見出すことはできないであろう。
 正しい知識は、それを敬うことを学んだときにのみ、自分のものにすることができる。人間は確かに眼を光の方へ向ける権利があけれども権利は他人が与えてくれるのではなく、自分が自力でそれを獲得しなければならない。
 我々の文明は尊敬したりするよりも、批判したり、裁いたり、酷評したりする方に傾きがちである。生まれつき畏敬の感情をもっている人、もしくは幸運にも教育によってこの感情を育てることができた人は、用意がすでにかなりできているといえる。このような用意ができていない人は、自分で今、畏敬の気分を育てようと努力しなければならない。

>自我とは【】を認識する能力ですd(^-^)

自分の魂の傾向に従えば好き嫌いで敵対し自己主張します。
知性と結びつくと、知性の特徴で違いを分類して個が強まります。
しかも、個的な自我は、
本人の意志を無視しては誰も開けることができないもの。。。

|本人自身で魂の傾向を乗り越えて磨き上げるしかない!|
…というのが結論になります。(そうなるんですよぉ☆)
 

今までの体験を思い出してもみればよく分かりますよん。
|畏敬により、自分で対象や環境から多くのことを引き出したのです|

不満と文句ばかり感じていたら、成長はなかったはずですもんね。

ですから…
未だ畏敬が不足しているならば寂しいことですが、それでは
まったく才能や力を発揮できていない可能性も高いのです。

自分の能力を引き出す為にも、まずは
【ただ一つの基礎感情】尊敬・畏敬を自分で育てる所からスタート!

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.30———

 「認識の小道」の歩みは、世間の目につかぬように、静かに進め
 られる。誰も彼の変化に気づく必要はない。彼はそれまでと同じ
 ように義務を遂行し、以前と変りなく稼業に励む。変化は外なる
 眼の及ばぬ魂の内側でのみ進行する。
 はじめは人間の心情生活全体に、尊敬するに値するすべての
 ものへの畏敬、という基本的な気分が照り輝く。このただ一つの
 基礎感情が魂の生活全体の中心点になる。

 *認識の小道とは、
  著書「神智学」の最後に書かれた、思考から出発して
  自分の歩む認識の道を自分で見つけだすための思想像
  を提供している章のことです☆
|———————————————–

魂の傾向(好き嫌い)に左右されずに、どんなものの中にも、
尊敬に値する部分を見つける練習をしていきます☆

■1から順に基礎感情(尊敬・畏敬)で満たしていくようにしましょう
  1>文化人・役者さんなど遠い所
  2>知人
  3>身内

例えば、
  嫌いな芸能人が出てる番組を1時間見るようにします。そして
  良い点・偉いなぁ~・努力してるなぁ と思えるところを見つけます。
  知人や身内対象の練習は追々で良いので、先に
  魂の傾向(好き嫌い)を脱するため考え方をバックナンバーを参考に
  頭に入れて、不快を避ける免疫をつけると良いでしょう。
  https://www.tarot-r.com/yuki62.php

|引用___、いかにして前世を認識するか P.100 ——–

 信じるという魂の特性は、私たちアストラル体(魂)を豊かに
 します。反対に、不信、信じることができないと、アストラル
 体(魂)は干からびます。食物が肉体に働きかけるように、信
 頼はアストラル体(魂)に働きかけます。信仰が人間、人間の
 安定、魂の健康、身体の健康のためにどのような作用を及ぼす
 かを洞察するのは重要なことではないでしょうか。心の健康は
 身体の健康に作用します。信仰を廃止してその場に知識を据え
 ようとし、信じることのできない人間のアストラル体(魂)は
 枯渇するというのを認識するのは、いまの人生を見渡すだけで
 よいのです。
 「信じないことによって、私たちは自分のアストラル体を枯渇
 させる。信じないことによって、私たちは自分を貧しくする。」
 信仰と知識を対立させるのは、無味乾燥の論理です。信仰と知
 識について語られてきた陳腐なことがらは、人類の進化にとっ
 て男性が大きな役割を果たしてきたという主張と、大きな役割
 を女性が果たしてきたという主張の対立と同様の意味しか持た
 ないものです。太古にはある性が意味を持っており、現代では
 別の性が意味をもっているという主張とおなじです。

|———————————————–

先に挙げた”犬夜叉”の例にあるように、不可能だと決めつけず
信じることができなければ、私たちは伸びていけません。
かといって、そう簡単に行きませんがね。。。

現在は知識があっても伸びていけない人間をよく見かけますねぇ。
霊力のある妖怪ならまだしも、
可能か不可能かをチャレンジすることもせず見送る人は
自分を貧しくして来たことに間違いないでしょう。

シュタイナーが呼びかける言葉
|信仰が人間、人間の安定、魂の健康、身体の健康のために
|どのような作用を及ぼすかを洞察するのは重要なことではないか
ということを 私たちは真剣に受け止めたいものです☆

いかにして超感覚的世界(略) P.31
感情は魂にとって、肉体にとっても栄養分に等しい存在なのである。もしパンの代りに石しか与えられなければ、肉体は活動を停止する。魂も同様である。
 魂の養分としての尊敬、敬意、畏敬などの感情は魂を健全で力強いものにし、特に認識活動に活力を提供する。認める価値のあるものを過小評価したり、軽蔑したり、反感をそれに感じたりすることは、反対に認識活動を麻痺させ、不活発にする。

これは最もな成果ですが、
嫌いな文化人などの誉める点を見つける作業を続けると
最初はかなりキツイですが、慣れてくると最後には、
”なぜ、あれほど嫌悪感があったのか” と不思議になります。
大抵は、相手が悪い訳ではない
自分の魂の特性だったのだなと納得できました。

ただ、そんな話は信じられないという方は考えてみてください☆
|認める価値のあるものを過小評価し、軽蔑し、
|大抵のものに反感を感じて生きてみたらどうなるでしょうか
試しに今後1年間、そういう習慣をつけてみるのです。
想像力のある人なら決して試そうとはしないでしょうが、
見る見るうちに魂が不健全になり、まともに認識できなくなるでしょう。
しだいに環境も悪化し、悪口や不満が習慣になるはずです。

良くも悪くも自分の行いが習慣になり環境が構築されるのです☆
もし世界がこうして築かれるとしたら小さな個人の魂も
世界に対して十分に責任を分有しているのだと思えますし、
自分を幸せにする努力は、世界を平和にするかもでしょ(^-^)

勿論、書物の別の部分では、そのような示唆もありますよん。

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.39———

 対外的な生活態度を変化させる必要はまったくない。以前同様
 それ以後もまた日々の稼業に従事する。それによって「生活」
 から疎外されるようなことはありえない。
 次第にこの「高次の生活」(自己教育)が日常生活にまで影響
 を及ぼし始める。人間全体に落ち着きが、個々の行動に確かさ
 がより加わり、徐々にではあるが自分で自分を統禦できるよう
 になり、外的事情や外的影響の支配を受けずにすむようになる。
 これまで怒りをさそってきた事柄に出会っても、怒らずにすむ
 ようになる。不安を喚び起こした無数の事柄も不安の種となる
 ことをやめる。ひとつの全く新しい生き方を彼は身につける。

|———————————————–

黙って1日に1時間良いところを見つける練習を続けると
「気分」も全く習慣に左右されているのが分かってきます☆
反感を抱いたり文句をいうのも習慣であり、努力すれば
良いところを見つけるのが習慣になるのです、これが!

自己教育の成果は、精神力としても現れ!
イライラや不愉快が徐々に減少して、ゆとりができる分
我慢が我慢でなくなり落ち着いて強くなるのを実感できるでしょう。
立場を越えて、多くのものが受け取れるようになります。
また受け取れる人間には、人が心を開いてくれるのです☆

それこそ、敵対と分裂の傾向にある未熟な自我が全人化し
世界に向って開かれ融和いていく道の途上である実感です(^。^)

周囲に「自分はこんな素晴らしい考えをしているのだ」などと
アピールしなくてもチャント変化が起こって来ますよん。
又、そういうことを信じて進むようにしていきます。

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.23———

 生まれたときの生活環境や文化環境によって、文字の知識を
 身につける機会に恵まれない場合があるかもしれない。しかし
 高次の世界における知識や能力を真剣に求める者にとっては、
 どのような障害も存在しない。
 認識への正しい、まじめな努力が存在するときには、どんな
 状況の下にあっても、伝授する側がその人を必ず見つけ出し
 てくれる。
|———————————————–

これは真剣に練習すれば ”必ず身に付く” 確約です!
決して賢者や神が与え惜しむことはありません。

むしろ問題はいつも受け取る側にあるので、
受け取る自分自身の姿勢を正しくもつなら
自分は周囲から無制限に見習うことが出来ると示します。
勿論、チョット神秘的な出会いも経験できるでしょう☆

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.58———
 
 どんな賢者といえども子どもから無限に多くのことを学ぶこと
 ができる。自分とは正反対の意見が述べられるときにも「見当
 はずれな意見」がまかり通るときにも、没批判的に傾聴する努
 力を重ねていく人は、次第に開いての本質的部分と融合し、同
 化することができるようになる。相手の言葉を聴く行為を通し
 て相手の魂の中へ自己を移し入れる。
 特に最新の注意を払って観察せねばならないのは、意識の表面
 に現れて来ない、魂の奥底にひそむ感情の動きである。たとえ
 ば何らかの意味で自分より劣ると思われる人の発言に耳を傾け
 ながら、あらゆる種類の優越感や知ったかぶりを抑制すること
 が必要なのである。
|———————————————–

何かが出来ていると思っても、
まだまだ出来ていないことも多いのが実際です(^_^;)
・・・というか、
 学ぶための作業ですから優っても意味ないですしね。

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.78———

 自己を肯定しようとするの全ての人間の意志を無制限に評価し
 この意志を人間に内在する聖なるもの、我々の冒すべからざる
 ものと、思考のみならず感情においても見做せるように、自分
 を教育することである

|———————————————–

全人フルパワーに発展する努力がいかに繊細なものであるかが
これにより示されています。
人間の尊厳について「社会の時間」に習った理解を
更に更に深めていくことが必要になります。。。
…といっても、無理をしないで続ける事で
本当は分かっていなかったことに多々気づき始めるのです(^。^)
個々の人間の自我が、どれくらい尊いものであるかをです。

すると自己教育を超え周囲の人間にも良影響が及んでいきます!
貴方が自己教育の過程として誰かにかけた
|窮地に際して味方についてあげた言葉。
|困りながらも優しく諭した言葉。
|理解の言葉。

そんな小さな行為が相手の自我を開き
”分からないことも分かる時がくる” 
”相応しい成長を遂げることができる”
 ...そんな養分として消化されます☆

私が尊敬して常に心においてきた人は、
決して否定的なことは言わず、
自分より劣ると思われる私などに対して、
「どうするのが正しいか」を押しつけず理解してくれました。
それが、今も、どれだけ大きな影響であるか!

|引用___、いかにして超感覚的世界(略) P.114——–

 考え方を直ちに煽動的な社会運動に転化すべきだというので
 はない。魂の内奥で、ひそかに、考え方を育むことが必要な
 のである。そうすれば次第にその考え方が人間の外的態度に
 も刻印づけられる。このようにして、自己改革は各人の内面
 の問題として、内面の問題としてのみ、始められねばならな
 い。このような考え方からすれば、すべての人間に対して一
 般的な要求を提出することには何の意味もない。人間はどう
 あるべきか、ということについて、あまりにも安易な判断が
 下されている。一般に煽動家たちは他の人たちに対して何を
 「要求」したら良いか、よく「わきまえて」いる。しかし自
 分自身に対する要求を問題にしようとはしない。

|———————————————–

自分への要求だけが意味を成すのだ と
シュタイナーは繰り返し繰り返し述べています!
その意味は、もう皆様十分にお分かりですものd(^-^)ネ!

”こうあるべきだ” という理想論を外に向かって
言うだけなら誰でも最もらしいことが言えるものです!
自分の実行とは無関係に正論を言えばよいだけなのですから・・・
そういう態度は、私たちには関係ありません☆

ましてや、概念操作をすることを通して、
どれだけ正論であっても現実はそのようにいくとは限らない!
そのことを知っている私たちですから、
その責任は決して負えるものではないと感じられますもん。

正論で「こうすべきだ」とせず自我を少しでも外に向って
開く養分をくれた、尊敬に値する素晴らしい人に習って
|悩む人も落ち込む人も、正しくないのではなく|
|長所も短所もあるのが普通で、基本的にはそれで良い|
という心境へ導かれたことは一生忘れないでしょう☆

どうしても恋や仕事で特定の評価や成果をだしたい時、
アドバイスを求められれば、シュタイナー的表現を借り
>そのままの自分でなく魂の傾向(共感反感)を越えたり
>成果を引き出す具体的な知識は…
と提案を出し合う関係でよいのです。

きっと尊敬できる方々からの自我を開く養分がなければ、
私は、自己を閉ざし、豊かな気持ちをもてず、
失敗を悪や敗者としてとらえタロットを通して
「他者に教えてあげる!」という
へんな使命感で自惚れたかも知れません。
そんなことになったら、自閉する他者を増やし
世界がまとまりなく多様化することに関与したことになりますもの。

|引用___、いかにして前世を認識するか P.102———
 
 多くの人が多くの供犠を捧げようとしています。しかし、
 世界に役立つ供犠を捧げるためには、そのような供犠を
 捧げることのできる力をまず持たねばなりません。供犠
 を捧げるまえに、供犠を捧げるにふさわしい人間になっ
 ていなくてはなりません。そうでないと、自我性の供犠
 はとくに大きな意味を持ったものにはなりません。価値
 あるものをもたらすために、自分をより完全なものにし
 ようと努力しないのは、一種の利己主義、怠惰です。
 愛をもたないようにと説教しているように誤解されるか
 もしれませんが、そうではありません。今日、人智学者
 は世間から、「君たちは自分の魂を完全なものへと前進
 させようと努めている。君たちはエゴイストだ」と、非
 難されています。
 完全への努力のなかに、多くの酔狂、過ち、誤りが生じ
 うることは認めねばなりません。進化の原則という名目
 の下に人智学者のあいだに頻繁に現れるものに、いつも
 軽薄な共感を抱く必要はありません。そのような努力の
 背後に、法外なほど多くの、許しがたい利己主義が潜ん
 でいることがあるのです。
 他面においては、私たちは帰依に満ちた供犠の意志に関
 して、非常な浪費に駆られる文化期に生きているという
 ことを強調する必要があります。そのことは誤解されて
 はなりません。愛は、人生の賢明な導き、賢明な洞察に
 よってふさわしい状況に現れることがないと、不正な場
 に現れ、人々を利するよりも害することになりうるとい
 うことを明らかにしておかなくてはなりません。 
 現代は、多くの人が魂の中に、魂を前進させるものをも
 たらし、人智学がもたらすものによって魂を豊かに、内
 容あるべきものにすべき時代です。

|———————————————–

この引用により何かを感じて頂く機会になればと思います。

「人の役に立ちたい」と希望される方が多い此の頃です。

シュタイナーは、静観的態度と結びついた芸術感覚は、
事物の表面を貫いて内奥の秘密にまで及ぶと書いていますが、
物事の表面を廻り続けるだけでなく、
またバラバラにして分析するのでもない、
相手の内面に自分を移し入れ相手に同化する技能を
人は「交渉人」や「クレーム処理」私のような「占い」など
他者と接する仕事に生かすことは有意義でしょう。

けれど、それが駆け引きなのか誠意なのかを、常に
自分の魂に誠実に問う習慣をもたないと逸脱しそうですし・・・
あくまで【個】が実行する供犠は単純にはいかないもの☆
….と示しているようです。

善意が良い結果にならないことも多く、
善意から始まった利己主義に陥るときもあるでしょう。
挫折の繰り返しで嫌になるときもあるでしょう。
そんな時、進んでいく気持ちがもてるのは、
”魂の中に、魂を前進させるものをもっている”場合です。
まずは十分、自分の魂を健全で豊かにしなければe(^。^)g_ファイト!!

そうでないと、良い心がけを「甘い考えだった」と悔いたり
それにより全く正反対の強制的な力を発揮するようになるでしょう。
それは時々起こる残念なことです。

尊敬していた人物が時が流れ再会すると
「○○は、いけないこと」「○○は賢くない」 
と批判ばかりして正す姿勢に変わっていたことがあります。
業務上「言わないと分からない」場合はありますが
一般的には正論で正さないからこそ愛を受取れた過去を
あの人に伝えたいな・・・と思うこの頃です。

思えば、いう事をきかない人間、ムカツク奴etc.
色々と感じる世の中でしょうけども、
魂の自己教育を通して、他者の中に[尊敬]を芽生えさせ
誰かが ”見習い・真似たい” と盗んで貰う以外に、
他者の自我を開く術はないのを実感したします☆

|正しい知識は、それを敬うことを学んだときにのみ、
|自分のものにすることができる。

自分が尊敬され、真似られる人物になるということ以外に
周囲に与えることが出来る存在に高まることなど出来ない!

自分を閉鎖てきにせず、開かれたものに教育をすること!
それが、閉じた他者を開く唯一の方法であり
多くの人が世界平和に「愛」を基調とする理由です。

よくドラマやなんかで
「この思い出さえあれば一生いきていけるわ☆」
な~んて美しいセリフがありますが、私は本当だと思いますね。
きっと、人は、気づけたなら、
沢山の愛情を受けて生きているものなのじゃないかな☆
それくらい受けた愛情は長く長~く養分として影響するんです。
受けた愛情を思い出して感謝したり、
自分から尊敬の気持ちを育てて全人フルパワーを目指しましょう。

では、長い読書、ありがとうございました m(__)m
お疲れさまでした…..☆

*1 人間の7つの構成要素
1、肉体 2、生命体 3、魂体 4、自我
5、霊我 6、生命霊 7、霊人 

|バックナンバー|
魂の区分2(思考の大切さと帰依の発想)
一瞬と永遠を生きる自我(反感の脱し方)
カルマの概念

●引用したシュタイナー書物
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか

黙示録の秘密
黙示録の秘密
ルドルフ シュタイナー, 西川 隆範/白馬書房
* いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか/イザラ書房
いかにして前世を認識するか
いかにして前世を認識するか

■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。

*;*;+*+ *:*’*+
|●実践経験&素直な言葉 
|<<人の運命と出会い>>

今年の年初はいつにもまして
沢山の人の運勢を拝見させて頂きました。

そして運勢のリズムに乗る大切さを知り、
運命という大きな波の強力で不思議な力も実感しました。
そして友人と、過ぎ去ったことへの反省も新たにできて
ある意味、爽快に第一歩を切れたと思います。

人の運命とは、本当にそれぞれで、
今回の題材「畏怖の念」を抱けるか否かに関しても、
生まれつき運命的出会いの時期が長期に渡りある人
確実に惹きつけられる ”尊敬や憧れの対象”をみつけ
それに邁進できる期間があります。
それを生かすか失敗するかは本人次第なのですが、
強く強く関心を抱ける対象がでてくる時期があるのです。

けれど中には、薄い薄い記憶しかもてない
人生の初めのうちに運命的な出会いがある人もおり、
その時期を伝えて、記憶を呼び覚まさないと発見できない場合や
100歳以上生きれて、やっと時期が巡る人も。。。

そういう人は今までに恋にも仕事にも熱中した経験がなく、
人生は、そういうものだと思っている場合も多いようです。
けれど時期がある方は、必ず巡りあう時期に天職や人生の鍵があり
今年も大勢のかたが記憶のすみの出来事を思いだし
今年から行くべき道を確信できたようです。
それは大変嬉しいことでした☆

どんなものにも強い縁を感じなかった方が
自分の人生のある時期に出会っていた「鍵」を思い出すのを
側で一緒に経験できたことは、とても貴重で感謝です。

まぁ ちょっとした年初の1ページですが...☆

─────────────────────────
|●シュタイナーの言葉

 悪意に対する もっとも正しい戦い方は

 善意を実現することにある

|★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”

   ・・・・・・・・後記・・・・・・・・

雪マガを書こうとする度に
害虫(ゴ)の夢でうなされる私って・・・(^_^;)
自分では有意義で充実した時間と感じ
気持ちよく眠りに入っているのにぃ~~。

昨夜なんて(ゴ)に加え幽霊がでてきて、しかも、よく見ると友人。。。
「ちょっと、どうしたん!こそこそと。しかも白い着物まで着て!」
と声をかけると、友人は
「いや、この前、事故で救急車で運ばれて、そのまま・・・」
と普通に言うし、こちらも”あぁ、そういうことなん”と納得したりと。。
(考えようでは不吉な夢ですが、とにかく明るく楽しかったです)

やれやれ、玄関から友人の幽霊がおいとましたと思えば、
ソーイングBoxから妖怪が顔をだし悪戯するやないの。
「こらッ!」と棒をつっこんで妖怪の顔をツツイタり、
変なもの食べさせてみたり... 支離滅な夢です。

まぁ、そんなことはさておいて・・・・

 その年には、その年の流れってありますね☆
 外へ向かった楽しみに邁進する時。
 自分の内面を充実させる時。
 行動力を発揮して何かを始める時。
 変化・変革の時など。。。
 2005年は、どうしようか決めていますか?
 自分の流れってナントナクつかめています?

 私は、昨年、積極的に行動する社交の年にしました。
 そして、走り続けてきた私なので、2005年は、
 来年以降すこしユックリする為の準備に、
 環境を変えるなど区切りにしたいと思います。
 
 さて、皆様はいかがですか?
 

========
2005年、自分はどうするべきだと思う?
======== クリックしてね。

1.「スタート」自分磨きなど、新しい方向へ進むべき☆

2.「準備」今後に向け環境を変えたり整理したりすべき!

3.「チャレンジ」関心や好意をもつ物に積極的に向うべき!

4.「安定」この環境の中で確実に堅く努力すべき。

5.よく分かっていない。流されるまま??

5番をクリックしそうな人は、まだ遅くありません☆
営業のつもりは、さらさらありませんが
2005年運勢を申し込んで頂いたらどうかしら?!

では☆お互い、有意義な1年にいたしましょうね

 発行人: Active Tarot Reading 佐藤 よし子

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