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未来を判断できる魂

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★2004/12月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■

タロット&神智学の智恵
【未来を判断できる魂】
素直な喜怒哀楽【信条整理して再スタート】 *:・°
シュタイナーの言葉 ☆彡
後記・・・
2004年、どうでしたか?
□■Active Tarot Reading☆


こんにちは!2004年は、どんな年になりましたか。
自分を素直に表現することが出来ましたか。

最近はお忙しい方々にとり、ややこしいマガジンが
毎月追うように届くより、ゆっくり読んで頂こうと
意識して「雪マガ」を隔月発刊にしています。。。

ところで年末になると希望も不安も出てきますね☆
私は、不安に陥りかけたら
亡くなった父や、身内や友人、神様などが、
「あなたは安心してて大丈夫なのよ」と
何度も言ってくれる言葉を連想し『安心』を呼び起こしています。
アホらしいようで結構、気分が変わるものですよん。

安心を促す環境に変える為に
暖色系の照明に替えたり(電球にするだけでも効果的)
好みの香水やハーブティーをたてたりetc.

|●タロット&神智学 の智恵
|【未来を判断できる魂】

前回は、一瞬と永遠を生きる『自我』と、
地上に結び付く役割をもつ『魂』について書いてみました。

少し復習しますと、
 -復習-----------------------
 誰もが、時間的(霊的)現実へと自分の魂から橋をかけ
 様々な答えを霊界から見出すことができるようになる。
 その為には、自分を物質界に結び付ける為に存在する
 魂の個人的な共感反感を除外しなくてはならないのです。
 それは、反感を曖昧にするための論理ではなく、
 真の自分の生活環境を読む術(すべ)☆

 時代は、共感反感を超えることを知った者にとって、
 五官と同じく、魂は新しい感受性となり、
 現実的な判断器官へと成長させていきます。
 今までに右往左往していた感情と違い、
 未来を判断できる器官に変えようとするのです・・・・☆

(全部忘れちゃってる場合 一瞬と永遠を生きる自我)
 --------------------------

というのが終りの部分でした(^^)
自分の好き嫌いの傾向に、右往左往せず、
多くの者と融和し、自我を拡大していけば良かったのでしたd(^-^)

神智学 P.58
自我は魂の中に生きている。「私」の最高の表現が意識魂によるとしても、この「私」は意識魂から輝き出て、魂全体を充たし、そして魂を通して、その作用を体にまで及ぼす。自我の中には霊が生きている。

“自我の中には、霊が生きている” とは、

自我は低次の欲望も持つ「魂」の中に生きていても、
霊界から叡智を見出せば物質界を豊かに生きることが出来る!

という意味なのです・・・・☆

では今回は、
人間関係のアツレキ。恋愛においての葛藤。
自分の人生についての自己問答etc….
どの悩みにも関わり”右往左往する原因となる”
各自の「魂の傾向」について簡単に書いて始めます☆

だいたい自分で分かるでしょう。(^^)
下記のように分類され、誰でもどれかに属しますよん。

平たくまとめれば
 ・欲望の満足 ・不快のなさ ・平凡 …が鍵。
言い替えて、
欲望満足タイプ…
  不満もあるが、不満の解決よりも
  欲望を満足させることが最優先である人
不快削除タイプ…
  欲望もあるが、欲望を満たすよりも
  不快がないことが最優先である人
無関心タイプ…
  大抵のものには強い不満も、また強い欲望もない為
  それらには無関心に、そこそこの状態を保つ人

とでも呼びましょうか….。
これらは共感反感を司る「感覚魂」というもの!
魂には「感覚魂・悟性魂・意識魂」があるのでしたよね☆
(魂の区分2)

■それらは実社会において下のような欠点利点が出ます。

◇欲望満足タイプ…(欲求を満たすことが絶対的)
  欲望の満足が最優先の為、気になるもの好むものを
  どんどん自分に引き入れることで交友関係が広いが、
  軽率さで多くのマイナス面も取り込んでしまう。
  顔が広く取っ付きやすいイメージ★
◇不快削除タイプ…(不快のないことが絶対的)
  欲望もあるが、不快なものはどんどん退ける為、
  心底好むものと深い関わりを持つが視野が限られる。
  職人・芸術家など1点集中タイプ★
無関心タイプ…(そこそこであることが絶対的)
  平和で、そこそこの感じが第一の為、
  向上心の強い人や、自分以下のものを退け変化がない。
  考えが同じ人同士で活動するタイプ★

まぁ、このような欠点利点を読まなくても、
気持ちが晴れないことが続いたり、上手くいかない時に
自分の行動を振り返り、この欠点を見出した人も多いのでは?

私もこれについては、自分で漠然と感じていたことを、
文字にして目の当たりに確認できただけのことでした。

そして
 今は知性の時代ですから、この欠点を超えていこうと
 多くの思考を行使することになっていきます。

 自分の魂の性質による漠然としたリスクからの脱却を
 知性を頼ることでナンとかしようと思うのでしょう。
 成功マニュアルというものも異常に沢山ありますものねぇ。

それでは知性が魂の欲望を満たす術(すべ)を
どれぐらい提供してくれるでしょうか。。。
さぁ、さぁ!

内面への旅 P.37
皆さんの中には、カント哲学の研究をされた方がいらっしゃると思います。カントは『純粋理性批判』の中で、ある面では肯定的な、別の面では否定的な証明を行っています。宇宙には始まりがあることを証明し、次に宇宙には始まりがないことを証明するのです。カントは、いずれの命題の場合にも、立派にその正当性を証明してみ
せたのです。彼はこのことを「二律背反」(アンティノミー)と名づけました。そして、そうすることによって理性の認識能力には限界があることを示そうとしました。

ふむふむ・・・
発見には後の発見が続き、
科学においても定説はつがえされますねぇ☆

起業家の成功話も、
「二律背反」そのものの正しさを証明する機会のようです!

なぜなら、成功する為の「目の付け所」を聞いてみると、
多くの人の関心が向いている所に目をつけた方と、
人が全く関心の持っていない盲点や、
多くの人が駄目だと思ってる事に鍵があるなど、
結局、どちらも成功しているのです。

★当たり前です!成功した人を本にしたのですから(^^)

またHow to本など、知性に訴えかけてくる魅力的な
成功マニュアルが沢山だされていますが、
正反対の論理で出されている本を探すのは
難しいことではないでしょう☆

…にも関わらずシュタイナーが思考を大切にする理由は?

内面への旅 P.37
概念を操作する思考によって、または、諸経験を思考で関連づけることによって、その概念を客観的な現実と一致させることができると考える人にとって、ある事柄が証明でき、その反対の事柄も証明できることを認めるのは、とても困ったことです。なぜなら、証明を通して、現実にいたることができない、というのと同じことなの
ですから。けれども、決定的な事態に直面したとき、思考が現実に
関して何も決断できないことを学んだ人、もっぱら賢くなるための手段として、叡智を獲得するための自己教育の手段として、思考を行使することを学んだ人にとっては、あるときはこれを、他のときはあれを証明できたとしても困ったことにはなりません。
 なぜなら、概念操作によって現実を把握することが全くできないからこそ、自由に概念や理念を行使して、自己を教育できるのですから。もしも思考がそのつど現実によって訂正されたなら、概念を操作することが自由な自己教育の手段にはならないでしょう。

健康・恋愛・仕事・・・どれを取っても
経験を生かし、どれだけイケてる概念操作をしても
概念と現実は、必ずしも一致しないものなのですよん。
 残念ー!!

けれど、概念操作をして、
◆自由に色んなことを想像してみることや
◆人の気持ちになってみること
◆正しいと思う解釈をしてみること は、
困ったことでないばかりか大切なことです☆
それこそ前回も書きました、
個人的な共感反感を超えて自我を拡大していく
ことにつながってくることですもん。

そういう想像力を発達させながら、
社会的な経験を経て行くのですから、
1年後には、もっと現実的な想像力が増し、

もっと、うまい対処策が思いつくことでしょう。
大抵のことに関しては、行う前に判断ができ

◇欲望満足タイプの人も、
  好むものからヤバそうな人を判別できたり
◇不快削除タイプの人も
  好む所がある人なら、適度な距離で関わったり
◇無関心タイプの人でも
  相変わらずの自分を変えてみようと思ったり…

それが一瞬を生き、永遠につながる意味です。

>>永遠とは、意味のある魂の経験を経ていくこと<< です。
そして、それを得るには「まず思考」からなのです☆

内面への旅 P.39
私たちの思考は、平気で間違いを重ねます。そして後でその間違いを正すことで、自分を教育し、自分を賢くします。しかし、私たちが思考の道徳的な力を育てていくと、人生の決定的な瞬間に、思考を働かせるのを諦めるところにまで達します。

 
知性をどこまで身につけて、経験を積んでも
人生の決定的な瞬間に判断違いをしない自信はないです☆

そこで、私たちは単なる知性に頼るのではなく、
より深い考えをしようとします。
あれこれの事情について、単に嬉しい悲しいでなく、
神様の警告ではないか」とか
前世のご褒美ではないか」とか…..
占い師に尋ねてみようというのも、そのひとつでしょう。
とにかく”何かを受取ろう”と考えるのですd(^-^)ネ!

その”何かを受取ろう“という姿勢を
『帰依』と呼ばれる正しい感情に整えていかれます。
↑の例では、
「神様の警告ではないか」や「前世のご褒美ではないか」
に近いものです。

占いでよく見られる ”相談者が”
『答えを自分の形式で分かるように教えてほしい』
と躍起になる態度とは違いますヨン
(静かに受取るのではなく強奪って人います(笑)

内面への旅 P.43
知性による判断は、どんな段階においても、すぐに真実に達しようとします。帰依は、あれこれの真実に自分だけの力だけで達しよう
とはしません。自らの教育に努め、一定の成熟段階に達 して、真実が事物から心の中にまで流れてくる「時」を、心静かに待っています。 

>>唯物論の時代の問題点は…<< 小説を読んでも、主人公の発言を引用して、
彼はなぜ、そのようなことを言ったのですか?
と作家に尋ねるような生き方になりがちです。
今すぐ疑問を解決したい気持ちに追われ、
いくらでも質問が続きますが、結局!
物事の表面を回り続けるだけになるということです。

問題の答えを頭に詰め込んだり、
完成された絵をなぞって写しても、
それを不可能なまでに細かく行ったとしても、
物事の断片や、切り刻んだ表面に違いなく
何も理解したことにならないのと同じです☆

時を心静かに待つ】…とは、
受けとめる姿勢から、得られるものがある意味です!
そのような心の状態からしか得られない何かがあるのです 

時間がかかる、と断定している意味ではないのですが、
きっと、上の例のように気持ちの逸(はや)る人なら、
『時を心静かに待って』と促されたら
「待つとは、どのくらい待てば良いのですか?」
「待てば、叶うということですよね」
とダラダラと尋ねてくるのが目に浮かびます・・・^^;

待ってる間に何か努力しておこう~。
っていう感じは、とっても重要なポイントです☆
幸運と思える展開に一番近い動きでしょう!

>>分かっていなければ超えて行けない現実が<<
>>分かるようになり超えて行ける力が育つ<< 新しい認識能力の開発には、どうしても!
人間の感受性が、深まることが必須なのです。

■新しい認識の様子をイメージしてみましょう。

内面への旅 P.45
帰依の感情を発達させた人が、牧場の新鮮な緑を見たとします。牧場には多彩な花などは咲いておらず。新鮮な緑だけが輝いていました。そのとき、この人は、緑の牧場を眺めて、ある均衡のとれた内的感情を心に抱きました。生き生きとした均衡のとれた気分です。牧場の何を味わい、何の匂いを嗅いだとしても、心の中に同じよう
な内的活動を感じ取ります。どんな色も、どんな音も、何かを語り、そしてその語られたものに対して、内的に活発な反応を示します。
  判断を下すのでなく、内的に反応するのです。感覚世界が「意志」としか呼べないような何かとなって、姿を現します。感覚世界のすべてが、流れる意志の営みとなるのです。
 帰依を深く身につけた人が、感覚世界のいたるところに意志の働きを見出すということを、どうぞ心に留めて下さい。わずかでも帰依の心を育てた人は、すべての中に感知できるこの意志を通して、いつでも世界全体と結びついているのです。意志を通して感覚世界のすべてと結びつき、それによって現実に近づくのです。
 こうして感覚世界は、多用極まる仕方で現われる意志の海のような姿になります。

例えば、
ニコニコと好感度の高い人でも、顔を見ると
「なんとなく、気分が悪い感じになったり」
借りたいお部屋を見に行くと、明るくて最高なのに
どうしても気が進まないなどということありますね。
私がタロットカードの習得について、
いろんな角度で勧めている解読法も、こういう事です。
カードに個別の意味以外の「イメージ」を
説明として付けてあるのを買うように勧めている理由です。

なるほど! と今更ですが、
タロットは意志の海を読むのに関わりが深いと思えば
清々しく納得できますねぇ・・・・☆

内面への旅 P.47
帰依する人は、意志の働きが眼や耳を通して自分の中へ流れ込むのを感じ、自分が事物と照応しているのを感じます。
 このことは、厳しい試練を意味します。どんな事物も、一方では生成と萌芽の感情を持つように、そして他方では死滅の感情を持つように、と促しているからです。感覚世界に見えるすべては、この二つの相反する根本衝動を示しているのです。その二つを「生成の世界」と「消滅の世界」と呼びます。その背後に「叡智の世界」 があるのです。
 「叡智の働き」と申し上げたのは、単純な理由からです。人間が概念で捉える叡智は、通常、働く叡智ではなく、考えられた叡智です。人が意志の働きの背後に見る叡智は、事物と結びついており、事物の世界で働いており、支配しています。
 叡智が現実から離れますと、死が訪れます。叡智が流れ込むと、生成が始まります。 

感情は、信号機の「青と赤」のようです☆

真実は、正しい思考によって至る結果と違い
奇跡の現実であり、真実です。

叡智の働きの「生成と消滅」を感じると試練ではありますが、

  好きだから気持ち良い…とか
  嫌なことがあって不快…と悩むのでなく

不快や停滞は赤信号
 ★自分への制止や抑止への誘い として…
爽快な感情は青信号
 ★推進や縁を示すサイン    として…

【事物の内容を受取る器官】に変化します☆

 信号が分かるようになったら赤信号で渡るのは恐いですぅ。
 信号が分からない間だけ、向こうに美味しい店がチラリ
 ナ~ンて見えたら進んで、車に激突していくのは・・・^^;

余談ですが……
 カルマ論でシュタイナーは、
「人は、劇的な出会いや出来事が重要で
 ほんの一瞬の関係は重要でないと感じがち」と示しています。

ホンの短い縁でも、結果的に壊れた関係でも
見逃すようなチョットした瞬間に紡ぐ関係でも、
とても大きい意味をなしていく場合もあるようです☆
チョット向こう道に渡らせてくれただけでも、
人生が変わることはありますからd(^-^)ネ!

最後の引用は、
この時代に、帰依するという姿勢をもつ難しさです。
霊学書を読みとく難しさを書いているものですが、
すべてに通じる点があるので挙げておきます☆

内面への旅 P.156
大切なのは、書物の内容を自分の中に受け容れたとき、一定の仕方で考え方、感じ方を変化させることができたかどうかなのです。
 現代人はすべて、知的な教育を受けた人たちですから、書物の内容を評価する上で、自分以上に優れた判定者はいないと思っています。あらかじめそう思い込んでいるとしたら、その人は書物の立場に従って、新しい別の評価の仕方を学ぼうとするでしょうか。自分は優れているし、評価の最もよい仕方を心得ていると思っているのです。自分の立場を変えるつもりなど、初めからありません。ですから書物の新しい意図や方向が感じ取れません。せいぜいのところ、その書物からは学ぶものが何もない、すべては言葉の遊びにすぎない、と判断するだけです。
 すべての霊学の根幹神経が分からなければ、そうならざるをえないのです。その根幹神経とは、たとえどんなにわずかでも、真の霊学書を通して、世界に対する別の感じ方、別の評価の仕方を持つようになろうとすることなのです。

十分な理解をしようとつとめる姿勢の人には、
叡智の扉が一瞬開かれるようにヒントが浮かびあがります。
十分な帰依をしようとつとめる姿勢の人には、
叡智の扉が一瞬開かれるように良縁がふって湧き悪い縁は、
扉が閉まろうとするのが感じられるでしょう。
それは、以前にも紹介した、
魂の熱が、物質と霊界の架け橋になっているからです。

そして迂回して来た知性と経験が、
次々とつながって意味を成してきます。
そうして全容に至るのです。

次回は、もう新年ですね。
これまでも出てきた『自我』の重要性について
黙示録も例にあげて書いてみます☆

はぁ~、長い読書、お疲れさまでした m(__)m

|バックナンバー|
カルマの概念

●引用したシュタイナー書物

内面への旅
内面への旅/筑摩書房

シュタイナー選集 第1巻 神智学
シュタイナー選集 第1巻 神智学/イザラ書房

■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほどの人ですので、安心してお読みください。

*;*;+*+ *:*’*+
|●実践経験&素直な言葉 
|<<信条整理して再スタート>>

「自分の気持ちを言葉に出す・表に出す」ということが
とても大切なことだと度々思う此の頃です。そして
その”大切さ”にも色々な意味を感じます。

(^-^*)ちょうど年末になりましたしね☆
来年も最善を尽くして前進していきたい気持ちをコメテ!
書いていきます。

抑制から来る
 ・慢性的あきらめ 
 ・潜在するストレス  からの解放は一つの課題です。

◆慢性的あきらめは・・・

“もっとよくなりたいという向上心”を
自分には過ぎたことだ、とあきらめ
あきらめていることも忘れること!
(人間は悪い記憶は忘れるというけどねぇ・・・)

でも、どこかで密かに諦めてず育っている意識が
無意味に抑制され続けてしまうと
仕事や友人や何かに依存することになり、
なんとなく周囲にも負担となるものなんです。
(本当に覚悟を決めた場合は違う趣が周囲に伝わり)
(無理をしていないことで他者も負担がない様です)

◆潜在するストレスは・・・

“いつも他者に良識的で優しくありたい!”
“思いやりや気遣いを大切にしたい”   などの
良い信条が引き金になっていて気づかないストレス。
失礼なことをされても、我慢したり・・・
周囲の反応を気遣いすぎて気持ちを出せなくなる・・
良い信条を持っていることが足かせになってしまうパターン

自分の行為に罪悪感や劣等感を感じてしまうとき

 ★マイナスなエネルギーを発生させず
  気持ちよく自分を外に向かって開くことが大事☆

打算ずくでなく
自分の気持ちで行うことには、
見返りへの期待はみじんも含みませんから
たいへん気持ち良い行為となるでしょう☆

過去に苦い経験があったとしても
知性や経験の判断には限界があるのでしたよね。
その時とは自分も違っているはずです。

自分を外に向って開き、叡智の信号をみて下さい。
小さく青信号が点っているかも知れませんよ(^。^)

───────────────────────
|●シュタイナーの言葉

 人間は或る人生では 或る民族の一員となり

 次の人生では 別の民族の一員となって

 「私(自我)」が獲得したものを

 そのつど異なる民族言語の語法で表現するのです

|★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”★:*:-”☆:*:-”

   ・・・・・・・・後記・・・・・・・・

 早いもので2004年も後わずか。。。
 今年、思い描いた計画も、思う以上に進み
 遠い思い出のようでチョット切ない師走気分です。
 例年、そうでしたっけねぇ。。。
 皆様方は、如何でしたでしょうか。
 お知らせ頂ければ嬉しいです!
 

========
2004年、どうでしたか?
======== クリックしてね。

1.たいへん充実した1年でした。感謝で来年に続きます☆
2.ほぼ計画したことは進みました。よっしゃ!
3.今年は、まぁまぁ。来年も頑張れそう。
4.凹んだこともあるけど、プラスマイナスゼロです。
5.強いて言えばマイナス。来年は心機一転スタートします。

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