雪の重さに耐える愛する心

シュタイナー実践、気づけば30年間近「マジか?」

カルマの概念

★2002/10月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■
タロット&神智学の智恵
【カルマの概念】
素直な喜怒哀楽【予定は未定】 *:・°
ラインホルドの言葉 ☆彡
後記・・・

□■Active Tarot Reading☆

ご無沙汰しているうちに、もう秋です。
そんなん言うてるうちに、もうクリスマスかも???
「やめてぇ~~!」って感じです。
皆様から質問や投稿など頂け、ありがたく感じております。ウレピぃ☆
でも本文をまとめるだけで汗で、
なかなか的確なお返事が書けなくて、ゴメンナサイ☆
間違いなく、目を通させて頂いております。
できるだけ応答になるような引用も加えるようにしますので
読みとって頂ければ幸いです。

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|●タロット&神智学 の智恵
|【カルマの概念】

カルマの形成 P.75
 秘儀参入学(神智学)を身につけていない者は、つねに内的な衝動をとおして、自分がなすべきことを知ります。人間は自分が何をすべきかを常に知っており、いつも様々なことに駆られていると感じています。
 秘儀参入学に取り組み始めた者がなすことはやや異なってきます。なにかをするように駆られているとき、それを行わないようにも駆られるのです。
秘儀参入学を身につけるまえは、暗い衝動によりあるものは重要で、あるものは重要でない、というあり方をしています。

神智学 P、29
 人間は自分の周囲に対象を認めると、すぐそれを自分自身との関係において考察する。そしてそれは当然である。なぜなら対象が自分の気に入るか否か、自分を惹きつけるか否か、有用か有害か、ということに人間の運命全体がかかっているのだから。
 事物を観察し判断する際のこのまったく自然なやり方はどうしてもそうしてしまうくらいにまで容易なやり方のように思われている。けれども人間はそうすることで、無数の誤診にさらされており、その誤診がしばしば自分を赤面させ自分の人生を辛いものにしているのである。

欲するままに行動することで、カルマはキチンと消化されています。
でも欲するままに行動することで、辛い目にも陥っていく・・・
そんな軌跡を感じられたかたは多くいると思います。
そしてそれから逃れようと工夫をするようになるのですが、
その結果、自分を守っていく考えとして受け入れるのが
安全策に一番近いように感じる唯物的思想かもしれません。
先々や未来を推測し、辛くないように、
もしくは確実に歩みたいと望むのかもしれません。
しかしその結果、人間は具体的に理想を実現したり、
確率の低いと思われる事柄を行う勇気をなくしたかもしれません
対策を練ることすらしない場合を、度々見かけます。
今日はカルマの理論に近づき、
現実に前向きに進む力を得られるかを試してみたいと思います。

カルマの開示 P,14
 たとえば弓を引き、矢を放つと、弓の緊張によって作用が生じます。
弓を引くという原因と、矢が放たれるという作用のあいだに存在する関係については「カルマ」という表現を用いることはできません。
しかしこの例を違った角度から考察すると、まだカルマの概念には至らないとしても、ある意味でカルマに近づきます。弓は何度も引かれると、しだいに緩んできます。弓が行ったことを通して、外に向かって作用が発せられるのでなく、弓自身にその作用が帰ってくるのです。
「作用を引き起こしたものに、その作用が帰ってくるのです」
これはすでにカルマの概念に属することです。
たとえば、誰かが何らかの意図をもって一定の行為を行い、その意図のとおりに、その人物が欲した作用が生じた場合、カルマについて語ることはできません。原因と作用のあいだには、原因となることを引き起こした者から隔たった何かがなければならないのです。
原因と作用のあいだに関連があるのですが、その関連は、原因となったものを引き起こした者自身にとって意図されたものではないのです。

色々な場合が存在します。
ひとつの例としてイメージつくりをしてみましょう。
就職したいので面接に行ってみて就職が決ったのであれば、
それは原因を引き起こした存在の望む通りになったまで。
逆に、就職をする気持ちもなかったのに、知人の職場をのぞいたときに
たまたま遊びに来ていた人のご縁で結果的に就職したなら、
カルマが働いたといえるでしょう。
全く意図しない力が働いて「偶然」という言葉が使われる場合です。
そして、
そのカルマは自分が形成しているという点に着目することに意義があります。

カルマの開示P.27
 生まれてから死ぬまでの人生にとって特徴的なのは、そのあいだひとつの意識がつづくことだ、ということができます。通常の人生において、高年期に現れること作用の原因を簡単に幼児期に探しだせないことがあっても、注意深くすべてを探求すれば、その原因を見出すことができるはずです。記憶意識という意識によって、見出せるのです。
記憶を通して、以前の出来事と後の出来事の関連をカルマの意味で心に描くなら次のような成果が現れます。たとえば「私の身に生じたいくつかの出来事は、もし私が若いころにあることを行っていなければ生じなかっただろう。」
あるいは「私が受けた教育の報いを、いま私は背負わねばならない」ということもできます。自分のせいではなくて、自分が受けた害と後の出来事とのあいだに関連を洞察すると、それはひとつの助けになります。
自分が受けた害を補填する手段を、より容易に見出せるはずです。私達が通常の意識によって見渡すことのできる、人生の様々な時期のあいだに存在する原因と作用の関連を認識することは、人生にとって非常に有益です。
 80才の老人が、80才のときに生じた出来事の原因を幼年期を振り返って探求したとしても、自分に対してなされたことの埋め合わせをする手段を見出すのはまさに困難なことでしょう。
何かを教示されても、もはやあまり助けにはならないでしょう。もし、もっと早くに原因を知って、自分が蒙った害を振り返り40才のときに配慮をおこなっていたなら、その埋め合わせをする時間はまだあったことでしょう。

原因があり作用がある.....と考えれば、
自分の行ったことの作用を考慮し、
埋め合わせる行為を作用の現れる前に実行
することで
辛い目にあうことや、思い知らされるような出来事を改善できる。
もしくは、自発的に悟り改めれば、随分と軽減されるということなのです。
タロットで行う「毎月の運勢」の意図は、まさしくそれです。
それは自分の行った悪い事と言う風に、狭く考えるのでなく
よりよくできる小さなことは沢山あります。

習慣的にしている考えが、思う以上に自分にマイナスな場合もあるでしょうし
よかれと思うことが本当に良いかを考えることはです。
まずは着目することなのです
注意点は、天災や事故に巻き込まれた場合や
生まれ付いての難病などの判断です。
それらを以前行った行為の報いと決め付けるべきでなく、
カルマは常に形成され続けているのです。
どんな時も、現在、新たに形成しつつ、過去に形成した作用もあり
複数の原因の作用が複雑に折り重なっています。

カルマの形成 P.87
 愛から行う行為は、開かれた自由な心になり、私達を世界に近づけ、美と真と善のための自由で分別ある感覚を与えます。
 他者から私達に流れてくる無関心は、私達を主体性のない人間にします。
学校に行って先生の話を聞いても、いったいどうしたらよいのかわかりません。大きくなっても、機械工になるべきか、宮中顧問官になるべきかわかりません。どうしてよいのか、全くわからないのです。方向の定まらない人生を送るようになります。外界を見ることに関しては、鈍感ではありません。
 たとえば,音楽を理解することはできます。しかし、音楽を楽しむことはありません。よい音楽か、悪い音楽かは、どうでもよいのです。絵画の美しさを感じることはできます。しかし、心の中には、「それがなんのためになるのだ。」という苛立ちがあります。
 カルマ的関連によって、そのようなことが生じるのです。

冒頭に、私達は今、理想を実現したり、
確率の低いと言われる事柄を目指す勇気をなくしているのでは?

と問いかけましたが、
愛から何かを行うようにすると、それは開かれた自由な心になり、
やがて周囲と私達を親密な良きものとし、
精神誠意、自分とも周囲とも関わることができる力を受け取れます。
大まかな点では、幸運であると実感できるでしょう。
逆に、自分の無関心は、いずれ周囲からの無関心として現れ
「周囲なんて、どうでも良い」という気持ちになり、
主体性のない人間になる。
言わば、退屈であったり、イライラとする人生に感じるだろう
....という解説になりますが、

それを私なりに考えますと、
一度でも精一杯に(愛をもって)取り組んだことがあれば、
その過程のなかで、進歩に関する喜びや仲間との時間や、
打ち込むこと自体の喜びも体験して、
成果も失敗も、切磋琢磨そのものが人生の一部となり、
それを生かす意味が認識されるのではないか....と考えるのです。
複数の原因の作用が複雑に折り重なっていますが、
どの場合にも有効である特別なことが愛から行う行為なのです。
=イコール、努力への愛です。三浦カズさんみたい!

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.32
 誘惑者はすべて神智学徒の「自我」を硬化させ自己閉鎖的なものにしようと企んでいる。彼は自分の自我を世界に向かって開かれたものにしなければならない。そのためにはまず世界に向かって楽しみを求めなければならない。なぜならそれによってのみ、世界は彼の方に近寄ってくるのだから。

楽しみを求めるということを、言い替える意味で
いつも私は、自分の夢をもとう・何事もあきらめずに検討しよう
と言っています。
それは大きな出来事ばかりをさしてはいません。
貴方が取り組みたい・やってみたい・叶えてみたい!
そう思う小さな希望でよいのです。
そのことを利口な理屈をつけてあきらめたりせず、
心のなかで温めて描いたり、密かに接しておればよいのです。
そのことにより、いつか共通の夢をもつ
似通った立場の友人ができるかもしれませんし、
別の道へと進む入り口が出てくることもよくあります。
純粋な気持ちで、夢と触れ合っておくことは、大切なことです。
貴方自身が強く優しく豊かになっていく糧なのです。
誘惑者とは、ルシファー・アーリマンと呼ばれ
悪魔」といわれる実体のある存在を指しています。
実体のあるなし等々、色々な宗教的な立場により見解は異なりますが
神々の世界は完全な善に制限された幸運であったので、
悪魔は、それに選択の自由を人間に与えた存在と表現されています。
人間は自由な存在になり、紆余曲折しながら
自らの手で善への道を選択し再び上昇して行くことが目標です。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか P.33
 楽しみに対して鈍感であるなら、周囲から養分を摂取することを忘れた植物に等しいであろう。しかし楽しみの下にいつまでも留まり続けようとする態度もまた自己閉鎖的である。そのような彼は自分にとっては何物かであり得ても世界にとっては無に等しい。彼はその限り、それ程内部で活動的な生をいとなみ、「自我」を大きく育成していったとしても、世界は彼を無視してしまうであろう。世界にとって彼は死んでいるに等しい。

ニュース自己閉鎖的な人物の犯す凶悪犯罪が目に付くように思います。
世間への当てつけや自己アピール、もしくは自己中心的欲求です。
私達も多かれ少なかれ、そのような心理を理解しなくてはいけません。
どんな人にも元々は親や隣人はいるはずなのです。
適度な環境さえあれば、周囲の世界に関心をむけることは可能なはず
誰もが隣人をひとり自分と同じように大切にするだけで世界は平和になるのです。
生(なま)の人間付き合いや、
生(まな)の言葉を耳にしながら愛するのは本当に強さがいりますよね☆
しかも自分が常に周囲にそのように扱って貰って来たかは定かではありません。
でもお互いに頑張りましょ☆私達!

ずっと以前に細川ガラシャについて書いたことがあります。
とても簡単な文章ですが、それも参考にして頂ければと思います。

何度も何度も繰り返し引用をお読み頂き
自分の何かに照らし合わせて自分のものにして頂ければ幸いです。

冒頭に書きました「辛い目に陥っていく自分」を守るために
たくさんの人が選ぶ考えが、確率の低いものに挑まない
できるだけ安定を目指す選択・・・というもののような気がしますが、
実際問題、色々なことをあきらめ妥協しているうちに
自分の中の英気能力が減退していくと感じます。
人間の能力使わない部分は減退していくのが普通です。
ですから、
私は手に入りそうなものだけを選択して辛い目を避けるのは、
いっそう、あきらめることを増やしてしまう....益々、自信を持てなく意欲をなくすることだと感じます。
逆に、好きなこと・実現したい何かを継続することこそ
自分の力を増強させ、益々、進展していく自分になる術です。

●引用した書物
シュタイナー選集 いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかいかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか
シュタイナー選集 第1巻 神智学シュタイナー選集 神智学
シュタイナー選集 第1巻 神智学
カルマの開示
カルマの開示
カルマの形成
カルマの形成

■ルドルフ・シュタイナーとは■
1861-1925年。
教育学・医学・農業・建築・社会論などの分野に
業績を残した哲学博士です。
単なるカルトおじさんではなく、ヨーロッパでは
教科書にも乗るほど有名な人ですので、安心してお読みください。

*;*;+*+ *:*'*+
|●実践経験&素直な言葉
|<<予定は未定>>

タロットをしていて特に助かるのは、未来の成行きがわかること!
.....というのが、私の1番感じていることなのですが、
『予定は未定』とは、よく言ったものだと思います。
頭で考えていることは、
現在、見えていることや分かっている情報から推測した明日です。
しかし現実的には、
私達は周辺を取り巻く状況の、ごく一部の情報で推測するしかないですし、
今まで起きた事のないことは、ないものだと考えています。
大変に不確かな推測なのです。
本当は予定は未定で、いつ何が変化しても不思議ではないのです。

例えば旅行などでも、予定を組めば、実行まで進めると思いますし、
どんなことでも自分サイドで手続きが終了すると、進むものと安心します。
逆に、不本意な、不幸な状態に置かれても、
今までの通例で現状が続くしかないと見れば我慢します。

でも本当の意味での実際面は、
完璧におもった手続きが、不手際で無効になったり、
きちんと約束していたはずがスレ違ったり、
取りたててくれるハズの上司が変わったり、まさしく『予定は未定』です。
タロットは、それら未来の変化を的確に捉えてくれ
事前に対応できる可能性を与えてくれます。

どんな通例も、今まで関わった人間と、同じ人・年・月とは違います。
同じ人間でも、受けている刺激の違いにより、下す判断は変わります。
そして私達、対応する人間側も、常に学習し、
より効果的な刺激を周囲に与えるように努力すれば、結果は変化します。
通例も前例も、1度たりとも同じ環境のものはない、
新しい経験として捉えることで先入観を取り除くと可能性が広がる、と
私に教えてくれました。

大抵のことは、小さな油断や思い込みなどを改善することで変えられますよ。
また希望をもつことで、不思議と環境が変化することも多いのです。
何につけ「絶対無理!」と言う言葉を頻繁に聞きますが、
絶対とは「単に前例と比較して・・・」以上の意味はないものです。
「無理」という言葉を肯定することは本当にマイナスなのです。
現在は、策を考えつつ静観するしかないとしても、
希望をもつ心の持ち主には奇跡も起こるでしょう。
なぜなら、常日頃から希望の達成する機会を探しているので、
目ざとく察知するのです。

現在、ある自分は、自分の責任に置いて築いた「今」です。
今、不運や周囲のせいにして、あきらめたら、
あきらめた自分の責任と判断の上に未来は築かれます。
「あきらめずに出来ることを精一杯にすれば、予定は未定で何か変わるはず!」と、
そう思い進むことで、明日のあなたは今よりも大きくなっているでしょう。
そして新しい対処法や可能性を自分のものに出来るはず。

「ここまで」と決めて切り替えるならば、
周囲や環境のせいにせず納得する強さが、あなたを成長させ
新しい方向に進ませてくれるでしょう。
■自分の未来を責任をもって引きうけているか?と、
時に、問い直してみてはどうでしょうか?

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|●ラインホルドの言葉

神よ

変えることができないものを 受け入れるいさぎよさ

変えることのできるものを 変える勇気

そして その両者の違いを見分ける知恵を どうかお与え下さい

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