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神秘学徒の諸条件要約

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★2002/11月号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■

タロット&神智学の智恵
【神秘学徒の諸条件要約】
素直な喜怒哀楽【アホやったから・・・】 *:・°
★彡【テロ事件で思い出した事】
善なる人種と悪しき人種:第2回☆彡
□■Active Tarot Reading☆

恋の不安
仕事の将来性や自分の能力 など
日々のプレッシャーはなくならないのが常ですね。
恋がない寂しさや空虚感・・・
恋を得た・実ったら先々への不安感・・・
なくても、得ても、未来という見えない存在を思うと芽生える気持ち

でも、そんな中でクヨクヨしない・焦らない習慣を身につけ
前向きにプラス思考に成長して行くことも可能です。
自分を力づけ、毎日を成果と幸運のために生かしましょう。

●タロット&神智学 の智恵
【神秘学徒の諸条件要約】

タロットの智恵は、未来を予測してくれること。
神智学の智恵は、実践的方法を教えてくれること。

でも何よりも基本には、人間的判断があると思います。
最終的にはアドバイスするのは人間ですから・・・。
そんなアドバイスをするお仕事の私。。。
厳格は良いものだというイメージで昔はいました。多分。
自分に厳しく、他人にも厳しく、
中学時代は、目をかけてくれる先生に、
『あなたは自分に厳しいのは良いが、他の人も自分と同じことができると思うのはいけない。皆、ついて来れない。』と
注意された経験があります。
周囲に対する思いやりに欠けていたというより、
みんなが同じ事をできないと考えたこともなかったです(笑)。
それを謙虚とは言わないのでしょうけど。。そうだ無知。。

神智学を学び出して、温和でありつつ、芯の強さはもてる・・・
本当の強さを見付けることが出来たように思います。
気に入るか、気に入らないか・・・
気持ちが良いか、悪いか・・・

という共感と反感の影響から離れた判断も
自分達には出きることがわかりました。

神智学の書物の中に、
【神秘修行の諸条件】という項目があり、要約しますと、
いかにこの世の中で周囲から孤立せず、自分の場所をつくるか
ということなのです。

私は兼ねてから、
『何をやっても、自分にピッタリだとは思わない』
という感覚がありまして。(趣味も含めてですが)
そして 【諸条件】の中の

精神が問題なのだ! ということは正しいが
精神不在の形式が無に等しいように
自分の形式を生み出せない精神があるとしたら
それは無力な精神だと言わざるを得ない

という文章をよみ、
自分の人生の居場所は自分で築かねばならないと同時に
努力すればできると直感したのでした。
そんな実践をしながら8年が経過した後に
タロットリーディングでプロとして生活するようになったのです。
予想もしないことでしたが。

温泉付きの家という居場所を想定し、それも不思議と叶い
今後も、自分の居場所を整えていきたいと思います。

神智学にかいてある条件を平たく読めば
自分のポリシーを持って努力し、周囲に認めてもらえるように切り開きなさい
という方向で、しかも、
その時々の精神的な葛藤の答えになるアドバイスや方向性が示してあるようです。

|1.肉体と精神の高校に留意

「空想癖・激昂し易い性質・神経質・狂信など」
常に怒りを克服しつつ、忍耐強い前進を続けねばならない。
日常生活の中でも、
ある現象に対する恐れは、この現象への洞察を妨げ
ある人間に対する人種的偏見は、その人の魂に目を向けることを妨げる

|2.自分を全体生命の一部分と感じる

「教育者だったら、生徒が要求に応じない場合」
このの子の不十分な点は、私自身の行為の結果ではないかと問うべき
「一人の犯罪者に対して」
もしも私を教育してくれた人達が、その同じ努力を彼のために用いていたとすれ
ば、この人も別の生き方が出来たに違いない

自分は 全人類の単なる一部分ではあるが、そのような部分として
生起する一切の出来事に対する責任も分有しているのだ
という考えを育むこと!

|3.自分の思考を考えが世界に対して同じ意味をもつ

「世界は、私の純粋な感情や思考から、私の善行からと同じ利益を受け取る」
信じることができぬ者は、修行者となる資格なし

|4.人間の本質が外観にではなく、内部に存ずるという観点を獲得する

「内的な業務と外的な成功を区別することができるようになる」
周囲の世界が理解し得ないような事柄を要求すべきでないが
その世界が認めることのできるような事柄だけを行おうとすることからも
自由でなければならない。

自分が真実と考える事柄の承認は、認識を求めて戦う自分自身の誠実な魂のなか
にのみ求めなければならない。

周囲の世界にとっては何が有用なのか知る事が出来るために
周囲の声にも傾聴することができなくてはならない。

|5.自ら間違った決断を下したと認めるのでない限り決意をひるがえしてはなら
ない

「成功するしないは、欲望から行動する時にしか意味を持たない」
高次の世界にとっては、行動に対する愛だけが決定的

|6.自分に向ってくる、すべての事柄に対する感謝の気持ちを養う

「自分の存在は宇宙からの贈り物」
我々、1人1人が生をうけ、生き長らえるために
どれほど多くの必要条件を自然に負い、又、他の人に負っているか

|7.人生を1~6の条件に、ふさわしく形成すること!

「条件を満たそうとしない人は
建設と創造への純粋な愛を、もつことはなく
破壊や破滅を、思いとどまらせる意志をもつこともないだろう」

理解できないことに出会ったら  否定的な態度をとらずに
全然、判断を停止させよ!
理解を将来に残しておけば良い★

以上のようなものでありました。
短い文章ですが、必要なことばかりでありながら
現代には欠けていることばかりな気もします。
■上記の★で囲んだ部分は、
今もタロットでアドバイスすることの基本にあります。


●実践経験&素直な言葉
<<アホやったから・・・>>

この数年、神智学で得た精神的安定を保つことが難しいと、
仕事にばかりカマケテ過ごしてきたのに、夢の一部が叶う機会を得られ
自分では『頑張った成果』みたいな勘違いもしている気が・・

「さぁ、引越しも片付いたし・・・これから又、頑張るぞ!」
ナーンテ気持ちで、11月の運勢を占いますと、
より頑張るどころか、ひどい行き詰まり・・・

何もかも悪い流れになっており、新しい方向に転機がでています。
中心には、その転機をつかむことにより転換できる、
言い返れば、それに気づけないと、
『さぁ、どうなるか~~~』と、とんでもない見とおし。

私は机に座りなおし、相談者の佐藤さんを念頭に置き、
自分の11月を訳しだしました。後で素にもどり読んで見ますと、
■守りに入って飛躍的な考えができないのが1番マイナス。
こんな現状維持で満足なんですか?
幸運が降ってくるのをただ待つ事にしたのですか?
と、見込みが甘い上に、マンネリで何もしないことを指摘されていました。

良く考えてみると、利口になったなぁ・・・・
昔は、いろんな行動をして、いろんな所に行って、
馬鹿みたいに色々と無駄だと思わずにしていて・・・・
その結果、人望も広がったと思うのに。
無駄を省いて、利口に考えて行動の先を選択しようとして、
その結果、行動範囲や言動が狭まって、
だから「個性も努力もあったもんじゃないわ!」そう思いましたね。

アホやったから良かった。そんな気がして来てね・・・・
■最短の努力で、無駄なく、最高の方向へ動こうと考えてたら、
ハッキリ言って何もできなくなる!

私のスランプは利口の皮をかぶっている・・・・そんな感じ。

もしスランプに陥っている方がいるなら、考えて見て!!
守ろうとしていることが、自分を狭めて減速させていないか。
『攻撃は最大の防御なり』
あなたが躍進し繁栄していた理由は、ナンだったか・・・
お互い、もう一度、カッコ悪ーーくなってみようか!?

*;*;+*+ *:*’*+
<<テロ事件で思い出したこと>>

—–前回と同じ前書き———-
私が始めてシュターナーを読みはじめて16年になります。
以前から気になっている記述に対しても、実践の仕方に従い、
わからないことについての判断は、いつか解るべき自分になるまで保留してきました。

そして、
9月のような貿易センタービルの破壊に伴う世界の情勢をみていると、
アーカーシャ年代記(*1)にある私達の7つの文化期の終了のきっかけである
【万人の万人に対する戦い】に思いがいってしまします。
ある時期に自分なりに計算した結果は
2100年くらいではと思った記憶がよみがえりました。
(*1:宇宙の起源や歴史の書)

世論はテロに対して屈してはならないという流れにあるように思いますが、
自分にはその答えが分からず、
罪のないアフガンの子供のようすを見ると、
ただただ涙がでるばかりのかたも多いのではと思います。
いたわりの感情ももちながら、
しかし地球・宇宙という大きなスタンスで吸収する物事があることも確かだと思い
アーカーシャ年代記や黙示録の秘密に目を通しています。

長い長い年代期は通常のものとは全く違うものでありますので、
文化期の第7という時期が現代の区分けとは異なると考えて頂かないと混乱します。
今回、ご紹介したいのは、
シュタイナーが1908年6月18日から30日にかけて講演した
【ヨハネ黙示録】をまとめた「黙示録の秘密」です。
これは黙示録というタイトルからして分かりますように、
キリスト教とつながっています。
潜入感をもって読むと、
シュタイナーも西洋人なのでキリストを特に信望しているように、
またはキリスト教を一番に思っている先入観があるようにも受け取れますが、
第7章の【善なる人種と悪しき人種】では、
キリスト原理を受け入れるものと、受け入れないものという表現に出会う度、
下ような記述を参考にしてください。
皆さんに考える参考にしていただきたい記述はとても多く、長いものであります。
できればこの抜粋をもとに、購入してお読み頂ければと思います。
重たいメールをすべてのかたに送信するのもどうかと思いますし、
購入の代わりにするわけにもいきませんので、出来る範囲にいたします。
——前回と同じ前書きの終わり————–

■キリスト原則とは?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★キリストを自分のうちに生かすことを知っている人々、
キリスト教の信条ではなく、
すべての文化から現れ出る真の秘教的キリスト教の意味に置いて、
「友愛の原理を全地球に発展させる人々」・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
マザー・テレサのされていたような敵味方ではない
友愛の精神という意味に受け取れれば読みやすいとおもいます。

<<7、善なる人種と悪しき人種>> 第2回

 

第4文化期に下ったキリスト原則との結合を果たした魂は、上方への道を見出します。キリスト原則と結合できない魂は、徐々に深淵に沈んでいかねばなりません。そのような魂は、自我、利己主義を獲得するでしょうが、その自我をもって霊的世界にふたたび上昇していくことはできません。キリスト原則と結合しなかった人は、霊的世界への上昇から脱落することになります。上昇するかわりに、下降して、ますます自我の中に硬化していきます。物質のなかに、どんどん下っていくのです。
今日の人間の姿はまさしく、人間の中に住む霊的な自我神性の写し絵です。霊的なものが人間の姿を与えるのを、人間が拒否したと仮定してみましょう。そうすれば、人間は体を、自我意識へといたり、ぐたたび霊化するための機会を利用せずに、体と結びつき、体を愛し、体を我が家と感じるようになったでしょう。体と結びついて、深淵に沈んでいったでしょう。そして、精神力を使用しないので、外的な形姿はふたたびかつての形姿と似たものになっていくでしょう。深淵に下る人間は動物に似た姿になるでしょう。体の中に存在するということを、ただ自我意識へといたるための機会として利用しなかったものたちは、深淵に落ち、悪しき人種を形成するようになるのです。キリスト・イエスの衝動を拒否した者達は、魂の苦しみから、人間がかつて有していた動物形姿を再び形成します。動物の姿をしたこの悪の人種は深淵で野蛮な衝動に突き動かされます。
このことについて、次のような観念をもつことができます。今日、人間の形姿がゴムでできており、このゴムの人体のなかに内的な魂の力があって、その魂の力がゴムの体に人間の形態を与えている、と考えてみてください。そして、私たちが魂の力を抜き取った、と考えてみてください。すると、ゴム製の体は縮んで、人間は動物の形姿を得ることになります。
ゴム製の人体から魂を取ると、その人間は動物の形態を示します。人間はみずからの力をとおして今日の姿に達したのです。もし、人間が以前にアストラル体の中に作り出したものを考察することができたなら、いかに動物に似たものがあったかわかります。ゴム製の人間に今日のような形態を与えているのは、本当にこのような内的な力なのです。この力が遠ざかり、人間が友愛の精神によって実りを与えられずに、動物の形態の中でピクピクしていると考えてみてください。このような人々はのちに、今日の世界の下に横たわる、深淵の世界を作るようになります。その世界で、彼らはふたたび動物の形態をとるのです。
アトランティス時代には、小さな場所に集落が発展したのに対し、今日では全地球のあらゆる種族から、地球の使命を理解し、友愛の精神を自分の内に生かすことを知っている人々が採用されます。この人々が、万人の万人に対する戦いに続く時代に活躍します。今日、人生のあらゆる領域で経験できるように、すべてはますます悟性の深淵に向って発展していっています。今日の純粋に悟性的な文化についで、人間が知性の奴隷になり、人格が没落していく時代がやってきます。
今日、人格を守るにはただひとつの手段しかありません。その手段とは、霊化です。精神生活を発展させることを理解する者は、万人の万人に対する戦いののち、白い衣を着て現れることになるでしょう。
私達は、現代の悟性の文化から直接、霊的な世界を把握することを試みましょう。今日の悟性の文化から霊的な世界を把握し、世界の霊化への呼びかけを理解する人々を集めるように人智学は努力します。それらの人々は閉鎖的な集落を作るのではんく、すべての国にまたがり、次第に第六文化期へと生きていきます。
まだ、万人の万人に対する戦いのあとの時代ではなく、まず第六文化期に生きるのです。第六文化期には、暫定的に、古い人種の必要性がまだあります。ポスト・アトランティス時代には、人種と文化が入り乱れて存在しています。本来の人種の概念は、その意味を失いましたが、まだ存在しています。それぞれの民族がおなじ方法でそれぞれの使命を果たすことは不可能です。多くの民族がそれぞれの文化に予定されているのです。
今日、西洋文化の担い手となっている諸国は、第五文化期を高みへえと導くように選出されたのです。それらの国々は、悟性を形成しなければなりませんでした。ですから、西洋文化の広まっていることろには、悟性の文化があり、その文化はまだ終わっていないのです。この知性は、もっと広まっていきます。もっと多くの精神力をもって、人間は体の欲求するものを獲得し、万人の万人に対する戦いの前に、たがいに殺しあうでしょう。戦争に勝つために多くのものが発明され、低次の欲求を満たすために計りしれない知性が集結されるでしょう。しかし、そのようななかで、東方の諸国が果たすべきことが用意されていきます。フィラデルフィアの教区によって代表される第六文化期のまえで、諸民族の結婚、知性、悟性と霊性の結婚がなされるでしょう。教、この結婚の黎明を私達は体験しはじめたばかりです。しかし、今日その結婚に対して、賛歌は歌われていません。夜が明けはじめたばかりのときには、人は賛歌を歌わないものです。

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【プロフィール】
佐藤 よし子/
現在、 宗教的な物に頼らずにプラス思考で乗り切るべく
MonthlyReading&カウンセリングを相談者に実施している。

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