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クリエーティブな感覚

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★2000/7/1号★雪の重さに耐える愛する心 ■□■□■

タロット&神智学の智恵
【クリエーティブな感覚】
素直な喜怒哀楽【題名なし】 *:・°

□■Active Tarot Reading☆



書くことに懸命で、発行ツールを利用してご意見を頂けていることを知りませんでした。
その中に、気になるご意見が・・・。
「題名がいかにも・・・だったので、会社で購読しにくい(略)」

題名が、いかにも・・・、この点点点が気になる。
・宗教的とか そういうことなのか?
もしくは、
・○○○○のファンと分かる?
・業務に無関係? すごーーく関心。

●タロット&神智学 の智恵
【クリエーティブな感覚】

悩む方のほとんどは、何らかの苛酷な状況の中で
物事を狭く見るようになってしまうことなど
小さな勘違いが生じているのが原因。
例えば、
社会が(周囲のだれかが)私をかわいそうな人だと思うと、
私は本当にかわいそうな人になるでしょうか?
NO! 絶対そうはなりません!
では、一見平穏な家庭生活を送っており、
幸せに見えれば、幸せなのでしょうか? 
本当のところは、わかりません。

小さいときの病気で、足が不自由なかたがおります。
もしかしたらその人より、自分の方が幸せだと感じるでしょうか。
その方は以前は悩んでおりました。
しかし、会話の中で私は気づいたのです。
彼の観点から見れば、ある面、大変深い知識があることに・・・。
その人は今では、足の障害は神様が下さったこと。と認識し、
自分の役立てる道を見つけ、
福祉事務所で、大変良い仕事をしております。

何が得か、何がソンか。
苦労がソンで、楽なのが得か。
それらは、自分の視野ひとつで変わること!

そして社会というのは何かを考えてみますと、
1人1人の集まりであり、私たちの小さな責任のひとつ1つですよね。
その1つである自分。
それを大切にすることが、実践のスタートだと思います。

以前引用し解説させていただいた

【神秘修行の諸条件】第二
「自分が全人類の単なる一部分ではあるが、そのような部分として、生起する一切の出来事に対する責任をも分有しているのだ」

というのが幸せの第一歩でもあると思わないと軽くなっちゃいます。

私たちがその姿勢で取り組めば、常に、
社会の意見と自分の意見
会社の意見と自分の意見
家庭の意見と自分の意見
子どもの意見と自分の意見

・・・などと、自分の考えるものと周囲との距離
どのように縮めるか最良を考え、対処し、
思いやりを持って対処された人の心に、必ず変化を起こします。

算数のように「どちらが正しいか?」と検討したりされたり
過半数の人が正しいと認めれば、その意見が正しいだろう!
という判断から不調がスタートします。

たいていの場合は、
「過半数の意見が正しいのだろう・・・」と考えた自分と同じく、
過半数という安心感で決めていることが大多数だからです。

クリエイティブでなければなりません。
クリエイティブな感覚により、同じ方向を向いて
双方が納得できる道を創造することができたり
既製概念で不可能だと過半数が思うことでも開拓するが湧きます。
この感覚は、私たちの求めている真の幸せを切り開いてくれます。

それに必要なことは
・勇気・熟考・受容性などです。
熟考と受容性が必要なのは、
クリエーティブというのは決して、
社会とマジわらない無謀な賭けではないからです。
周囲の理解も得、自分の充足感も得ることを目指す!
調和の思考です

勇気は 「過半数の安心感に満足しないため」。
熟考  「客観的に状況を見るため」。
受容性は「中道の道を見出すため」。
調和の思考は、自分で獲得しなければ自然発生しないからねd(^-^)

以前解説した【神秘修行の諸条件】に

絵を教えよ、しかし絵筆をとらそうなどとは考えるな、という要求・・・

の例えがありますが、
私は、この雪の重さ・・・を読んでくださっている方には、
自分の身に付けることを実行なくして可能と思われる方はいない!
と確信しています。


●お答えコーナー

【匿名さん】
> はじめまして。
> こんなつまらないことを投稿してよいのか迷いながら書いています。
> でも、是非ひとこと感想をのべさせてください。
> 前回の多血質についてのお話で、私自身の疑問がとけた気がします。
> 今迄、自分はなぜこんなにも不自由なのかと、悩んできました。
> 心がせまく、すぐ腹が立ちキツイ言葉を無意識のうちに、人に対して言ってしまいます。
> お酒を飲み始めると量が多く、結局、迷惑をかけてしまうことも多く、
> 書かれているとおりです。多分、多血質です。
> 正しい考えを持ち、自分を楽にしたいのですが、宗教はきらいです。
> 他に、良いてだてはないでしょうか?

「投稿 ありがとう ございます」佐藤

全然、つまらなくないですよ! 嬉しく思います。
私も、こういう宗教っぽいマガジンを書いていますが、
宗教は嫌い・・・というか、入信したくありません。
シュタイナー実践は、言葉こそ神秘用語も使わざるをえないですが、
現実的方法であり、精神科医の方々の考えとも矛盾しません。

プラス、わたしは
具体的行動の課題を自分の見解だけで100%正しいとせず、
タロットにより、視点のアドバイスを得ています。
占いをヒントにしているというのも、
聞く人によっては、肯定し難いことでしょうが・・
まぁ、占いにもヒントを得るもの等等、活用によるんです。

そんな心のトレーニングと実践を毎月お出ししています。
良かったらよいヒントになるのでお試しください(^^)

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●実践経験&素直な言葉

何度、同じことを繰り返すのか!と、
自分がバカに思える、今日此の頃です。
日常生活には波があり、それに対応するには
考え方にも幾通りものパターンが必要です。

★信じることを安楽な手段にする・・・マイナスと
★信じることで奇跡的道行きが現われるプラスの行動。
問題は、その見極めですd(^-^)ネ!
それを見極めるのは、簡単なようで難しい・・・というのは、
現実に巻き込まれてみるとパターンは、その都度違いますからね。
平穏な時期。変化の時期。持続のとき。

信じることで、奇跡的道行きが現われる時は、
1、自分で清水の舞台から飛び降りるつもりで(?)、または、
  真剣に考えた末、ある行動を決め、
「信じて進めてみよう。間違っていたら気づくように!」 と、
 行動するとき

信じるということを、安楽な手段にしている時は、
1、何も決めず、信じていたら向こうから幸運がくるような
  イメージトを持つとき。

この違いに、常に気づけるようになれば私も大したもの!

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